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名前:西村 修( ニシムラ オサム )
生年月日:1971年9月23日
出身地:東京都文京区
身長:186cm
体重:105kg
所属:07年10月19日付で、全日本プロレスに正式入団。
■デビュー
1991年4月21日、新日本プロレス・沖縄県糸満市西崎総合体育館での飯塚孝之戦でデビュー。
■得意技
コブラツイスト、エルボースマッシュ、倒立など
■闘 病
98年にはガン(後腹膜腫瘍)による長期欠場を強いられる。
■復 帰
00年6月・日本武道館での藤波辰爾戦で復帰。
■映画出演
04年には、奇才・河崎実監督による映画『いかレスラー』で初主演

全日本プロレスリング所属の正統派プロレスラー。
彼の名言には3ゴング!!
 
 
 
 
 
空想〜?
2007.08.31
昨日は1日中太東で最終調整。

午前中はひさしぶりに懐かしい仲間と再会。
新日本をやめていらいくらいぶり。
積もる話が山となる。

積もる話といえば最近ここの所はかなりご無沙汰だが
私は学校の昔の仲間といまでも非常に仲が良い。

とくに中学の仲間とはいまだに親しい。
女子に関しては結婚するとだいぶ顔をださなくなる。

学生時代、優等生が以外に出世していなかったり、
どうしようもないバカの不良が大出世している人もある。

私は今からやり直せるなら食事をしっかりと粗食で体力をつけ、
夜更かしせず、朝起きてしっかり運動し朝飯を食べ
一時間目からから最後まで猛勉強。

時間に遅れることが嫌いなので
無遅刻、無欠席の高校三年間ではあったがまぁよく寝た。

毎日、新日道場でのトレーニングでくたくた。
女の子との遊びは高校在学中はまったくなかった。

今のようにアルコール消毒もなかったが
たまにいく居酒屋はたまらなく楽しかった 。

今、この経験で年齢だけ戻るなら、
まちがいなく学校にクーラーボックスをもっていって
休み時間は居酒屋を開店させる。(笑)

高校生なら何を飲むか〜?
ビールならスーパードライ? けちって発泡酒?
いや宝の缶チューハイがよい。
しかも250ミリ缶。

だれかがコーラを飲んでいたらまちがいなくラムを混ぜちゃう。
お茶を飲んでいたら麦あたりの焼酎からまぜちゃう。

昼飯がおわり 昼休みにはワイン党だけ屋上に集合。
ゴッチさん愛用の葉巻をグラスワインと楽しむ。

でも、もし俺のまわりにこない奴らに目を向けてみたら
レゲエを聞きながらレッドストライプ、マイヤースを楽しんでいるのが
いたらたぶん親友になれると思う。

三味線をひきながら琉球王朝なんか飲んでいたら、
そいつとスロースタイル研究会を設立したいくらい。

校舎が神田だから帰りは神田か神保町。
もしかしたらいつもの大塚になると思う。

冨久晴の焼き鳥に、ボンゴのおにぎりに、江戸一の日本酒。

なんて愉快な高校生だ 。

空想はさておき、いよいよ明日は試合を控え、
コンディション調整に余念がありません。

練習としては昨日がピーク。
今日は柔軟をみっちり。

私自身学生時代はもともとそこまでは柔らかいほうではなかった。
筋肉を柔軟に保つのは大切なこと。

固くでかければいいわけではない。
見栄えだけはもっての外。

明日の試合に、相手に、気候に準じ食事を考えます。

幕張にご期待ください!!


初挑戦
2007.08.30
私は今年から初めての挑戦が様々。

まずはブログのスタート 。
十年前ならばどれだけのアピールができたことか〜。

私がパソコンをはじめたのが十年前。
あの頃選手でパソコンが使えるのは藤波さんと私くらいなものだった。

たまたま子供の頃、みんながファミコンに大熱中している頃に
みんなと同じことが嫌いな性分のわたしだけ
PC8800シリーズやFM7シリーズをはじめた。

この頃に完璧に英語の文字の配置を覚えた。
まさかここまで普及するとは〜。

しかしパソコンと英語だけはしっかりやらしてくれ、
すすめてくれた父には感謝しなければならない。

あとはサーフィン。
私は雪のサーフィンもパソコンをはじめたのと同じくらい。

中学一年 。

雪山には家出までして無理矢理行ったことがあった。
日帰りの家出だが、 しかもお弁当つき。

焼おにぎりを見ると今だに思い出す。

やり始めてすぐに多くのスキー場はスノーボード禁止条令を作りはじめた。
都内に住むものにとって上越辺りがうるさくなると
なかなか場所が限定されてくる。

今じゃ考えられないがプリンスホテル系が一番うるさかった。

私をスキーに連れていっての影響で若いスキーヤーが急増。

私だけボンド第十四作のオープニングシーンではまりスノーボードに夢中。
その前はボンド第十二作にはまりもちろんスキー。
しかもストック一本。

見ればわかります。

コルティナにももちろん行きました。
メテオラもコルフ島にも〜。

あと今年からは芸能活動。
プロである以上、名前も売らねばならない。

もちろん本業があってのことは言うまでもありません。

昨日恵比寿で芸能プロの宣伝の写真を撮っていただきました。

いい写真ができるとよい。

あんまりむくむといけないので一昨日の酒は軽め。
実家の近所の高層マンションの階段を永遠にウサギ飛び。

レスラーは膝と腰の悪いのが多い中、本当に怪我が少なく助かっている。
ウサギのあと公園でまた運動。

ガキが火を噴きそうなくらいみんなで煙草を吹かしている。
注意しようとしたら北京語だった。
そのままにしました。(笑)

今度あったら近くのおいしい本場の中華のお店を聞いてみよう〜。

太東に夕方戻り、練習。

太東にも銀座、揚子江で修業した凄腕コックがいるらしい。

二年前まで九十九里には温泉がないし、
ハマグリとイワシしかない町とバカにしていたが、
梨なんか天皇陛下ご用達。

米は大多喜米、新潟を越す勢い。

中華に寿司屋に魚屋にそば屋に洋食屋に餃子屋に〜。
まあ私の家が一番よいがね。

夏にファンを呼んで大バーベキュー大会を企画したかったが
ゴッチさんの件があり実行できずすみません。

寒い冬にちゃんこ鍋大会もよさそう。
しかも外。
そやはもちろん裸になってもらおう!(笑)

なんでもやる前は勇気がいりますが行動は起こしたほうがよい。
しかもなるべく早いうちに。

まだまだこれからも初挑戦は続きます。
カメラマンがいかレスラーの時のカメラマンで驚きました。

金子さん、ありがとうございました。


神秘の街 〜インド〜
2007.08.29
インドの話は書いたら切りがないほど〜。
たぶん毎日書いて三年はかかると思う。

インドほど深い街もない。
病気をする前からインドには興味はあった。

人間死んでしまったら終わりにしか思えない。
家族とも、友人とも、愛人とも、大塚とも、太東とも、タンパとも、
お別れをしなければならない。

もう二度と帰ってくることはできない。

楽しかった思い出、楽しかった仲間たちとも永遠の別れがある。

これがインドでヒンズーの文化には輪廻転生の考え方がある。

私がイカレスラーの歌でいうセリフ。
「肉体は滅びても魂は永遠に生き続けます。」
実に深い。

いくらわかって意味を理解しようとしても死は怖いし、
別れは何事にも変えがたいほどに辛い。
なかなか理解しようにもできない。

病気をしなければ、行っていなかったかもしれないとも思う。
しかし私の興味は、遅かれ早かれ行っているとも思う。

でも、ガンジスにたどり着き、一日の滞在ぐらいで次の町に行くような
観光的なことでの滞在は間違いない。

私が沐浴中、実に数多くの日本人観光客が
船上から私のことをカメラに収めていった。

彼らは次の日にはカルカッタかアグラでタージマハール観光であろう。
それはそれでよいが、私の目的はただ一つ。
それが納得できないかぎり次の町には行くことはできない。

ガンを患い、生きるか死ぬか。
命の尊さ、人間の生き方、意味。

なんのために人間は生きているのか、なんのために人間は生まれてきたのか。
そんなことまでの心境は、二十六にして他の健康なものには
気付く暇もないほどではなかろうか。

それはもちろん病気までしたくはないが、することによって、
私は間違いなくさまざまなことに気付きはじめた。

そのまず第一歩がインドから教えられた。

ガンを告知されたときの心境は”時と空間と次元が飛ぶ”

遥か彼方の宇宙空間にまで意識のレベルが飛んでいく。

お金や地位や名誉や仕事やホビーやコレクションや、
財産や洋服や靴や帽子、時計にカバン、車やバイク、
家や宝石、テレビやラジオ、文化や習慣、歴史や伝統、
スポーツや娯楽、町や村、県や国、道路や交差点、言葉や気候。

すべてを超越します。

これら今並べた事柄は、生きるか死ぬかだったらどうでもよいことになる。

ところがどう生きるかを考えると、最重要項目となる。

今見えるものは、生きものだけ、しかも人間以外。
植木や花々、鳥や昆虫、太陽や海。

病気直後の荒れ様はすさまじかった。
今だにその後遺症が少々ある。

その考え方が病気後の性格形成となる 。

差別したくはないが、なったものにしかわからないというのは
ここら辺のところじゃなかろうか。

これからをどう巧く生きるかを考える人と、生きるか死ぬかを考える人。
ルールと基準が180度正反対 。

どちらも自分サイドの基準を主張したがる。

だからあまり好きな言葉でもない。
なったものにしかわからない。

これは自分の基準を正当化させることになる。
社会でこれからも巧く生きていくためには、社会のルールが基準となる。
そこまで指導してくれる医者はいない。

では、どうすればよいのかは、
自分で見付け自分で判断しなければならない。

だれもわかってくれない猛烈に大変な作業だ。

人間不信にはなるし、会社からは現実逃避としかみなされない。

ここをやすらかに、脳のなかの財務整理的なる作業をしてくれたものが
インドである。

たまにあそこにいって『社会のルールサイド側の人間』が
『宇宙空間サイド側の人間』になってしまうときもある。

ここまで物事を深く考えさせられ、180度正反対に変えてしまう
きっかけさえもをもつ、十億人の博物館がインドである。

興味がなければ私は絶対にお薦めしない。
はまったら大変なことになる。

帰ってこないものは数知れず。
まぁ、それはそれでありか〜。
またそろそろインドに行きたくなってきた。
インドに住むのも悪くないかもね。


学校では学ぶことの出来ないこと 
2007.08.28
昨日は朝から会議、打ち合わせ。
将来の展望を細かく説明してきました。

私にはたくさん夢がある やりたいこと、成し遂げたいこと、
変えたいこと、教えたいこと。

今まで世界中でさまざまな人に教わったことを社会に還元したい。

学校では決して学ぶことができないこと。

いままで、私はあまり人を教えたり教わったことを他人には絶対に言わない。
なぜならば私がそこに通い詰めやっとの思いで授かった虎の巻を
そうと簡単に他人に言うわけが無い。

何のために病気までしインド、台湾、イタリア、を掛けずりまわり
年月と金を全財産投資し今の私がある。
受け身の考えしかないものにはそのまま受け身の態勢でよい。

私以外、病気もそうだが
プロレスの技術習得のために海外を旅するものは、
ましては在住するものはあまり聞かない。

みんな行動力に欠けている。
私ならパチンコする時間があるなら航空券を買って本場に飛んでいく 。

みんなと同じことをしても、平均点の前後くらいをとっても
私にとってそれは芸術ではない。

家を建てるもの、結婚するもの、趣味に使うもの。
その点では私は全財産プロとして自分に投資をしてきた。

リゾート地への現実逃避で私はフロリダに居を構えていたとするならば
それはなにもえることはないと思う。

いまだに海外修業継続中の感さえある。

日本プロレス史上最長期遠征ではなかろう
マツダさんがなくなりゴッチさんがなくなり
つぎはどこの校舎で修業したらいいのだろう。

ゴッチさんが言っていた。

よいコーチとはその選手を育てるために、自分を踏み台にしてまでも
その選手をあげてあげる心が無いとできない非常に困難極まることだ 。
大体の人は自分より抜かせない心理が発生する。

レスラーはそこがむづかしい。
たぶんほとんどの選手は
”永遠に自分が一番でありたい”と言う欲望があるのではないかと思う。

木戸さんをあんなにいともかんたんに首を切った
新日本の幹部の心が信じられない。

プロレスこそ歴史と伝統文化。

歴史からヒントをえずして新しいものだけに夢中になる感覚は私にはさらさらない。
いっそのこと、またニューヨークに九十五年のルートを再びとろうかなぁ。


1+1は…?
2007.08.27
千葉と東京のドライブ。
片道丁度100キロ。

太東には去年の五月から。
新日本時代の最後の年に千葉ライフはもうすでにスタートさせていた。

最初は鴨川。
渋い居酒屋が気に入ってしまい、
最初はちょくちょくグランドタワーに宿泊していたが〜

あまりに気に入ってしまい
その居酒屋から歩いていけるところにアパートを借りた。

このアパートにも様々な面々がやってきた。

ところが夜中になると違う世界からも時折来客が来るようになった。
私はあまり霊を見る力はない。

酔って寝たときなどトイレも含め絶対に起きることはない。
ということは毎晩熟睡。

しかし、このアパートにいるとかならず人の気配で夜中に起きる。
アパートの目の前にはかなり古い神社。
そのとなりはお墓。

まあそれが原因ででたわけではない。

砂浜をよく走ったり近くの公園で運動をするのだが人が多い。
サーファーだらけ。
ポイントとしてはグランド下。

仕方ないから未来高校に行く途中の橋の手前の
ホームレスがすむ辺りの公園が私のジム。

朝起きたらロッキーのように速攻で走りだす。
生卵は飲まない。
麦茶を飲む。

きつい練習ほどさっさとすませたほうがそのあとの心の充実感が違う。(笑)

ゴッチさんも大剛さんも早朝。 夜は早い。

ウィガン道場はよる スティーブカーン、ヒロマツダ、ドリーファンク道場は昼間だった。

選手によってもみんなまちまち。

新日の新弟子時代、
二十四時間態勢で雑務があるがそのたびに
用意やあとかたずけをするわけだが、基本は10時から。

長州力、マサさんらは夕方。
橋本さんは夜。

更に遅くにブロンドアウトローズ、一時や二時をすぎて蝶野さん。

明け方にアントニオ氏が来てまた十時から若手を含む合同が始まる。

最近蝶野さんはさらにおそく明け方の四時か五時ごろにジムに行くらしい。

一回、10時集合の緊急ミーティングが道場であった。
もちろん蝶野さんは欠席。

夜の10時一人で来て
「あれ〜?今日は十時集合じゃないのー?」とみんなに聞いていて
新弟子ながら大爆笑させられました。

しかも、トレーニング着に着替えると外に〜。
私の名前を呼ばれたので走りに行くのをつき合わされるかなとおもいきや
「西村、ホース出して!」どうやら車を洗うらしい。(笑)

しかも物凄い丁寧に 洗車が終わり、今度は食堂に。
ちゃんこを食べ始めた。

マサさん、ヒロさんのように練習前に軽く食べてやる方も多い。

そしてちゃんこを食べおわり今度は風呂場に。
木村さんが練習前に体を温めるためによくシャワーを浴びていたのを見ていたので
そのタイプかと感心していた。

シャワーがすみ応接間でテレビ鑑賞。
お着替え、 ヘアーのセット。

靴を履き再び車に〜。

車に乗り、
「じゃあなっ!」の一言 。

すばらしい!
それであのスタミナ。

この光景から1+1が2ではないとの社会学が私のなかで始まった。

だからではないのだが、今になって1+1が2である慶應の通信教育が
かなりてこずっているのは言うまでもない。


元気満タン中華と脳内会議
2007.08.26
昨晩は久しぶりに家族で池袋で食事。
十四階に華湘というすばらしい中華料理がある。

桜木総料理長とは数年来の友人。
新日本フィルハーモニーのチェロを弾きながら陳建民の
弟子であるウィーン在住の井上靖之氏とは九十七年からの恩人。

この方が動く場所にはつねにミシュランの星がついて回る。
この方がいうには陳建民の弟子で優等生はほんの少し。

原宿の龍の子、 上野毛の京華、 白金の都ホテルの四川、
横浜中華街の重慶、 赤坂の四川、 数は多いが優等生はすくない 。

そのなかで原宿の龍の子を紹介されその店に
ちょうど尋ねていたときに桜木氏としりあった。

中華料理にはさまざまな薬膳効果がある。
私も台湾で元気をいただいた。
本物の中華は元気をくれる。

西村家家族元気満タン!!

千葉に戻り、ある友人が訪れる。
彼は猛烈なメジャーリーグファン。

今から何年かまえにヤンキース対読売ジャイアンツが
東京ドームで試合を 行った。 私は是が非でも行きたかった。

この日丁度両国国技館で佐々木健介対ボブサップ。
私の試合は組まれていない。

彼からはこの試合のチケットが一枚余っているとの連絡。
どうしようか散々迷う!?

私の人生は優先順位がありその件に関し、
徹底ミーティングを脳内会議にて決定を下す。

私は一日中両国国技館内で落ち着かない日々だった。
あるとこ無いとこ顔を出し私がいることの存在表明。

しかし試合はない。
どこにいこうが関係ない。
あいさつしてもだからどうしたの状態。 特に選手控え室。
暖かいのはマスコミの部屋と会場売店。
とくに川勝さん 遠藤さん、野沢さんはいつもどおり。
入場券売場の山中氏も飯倉氏も、藤田嬢もいつもどおり。

私は休憩時間に駐車場からエンジンをかけ両国をあとに実家に急行。

きがえ、タクシーでドームに直行。

私にはどうやら常識以上に、社会のルール以上に
世紀の一戦が優先順位がうわまわった。

ボブサップ対佐々木さんでなく、

原対ジョートーレ!!

ホヘがホームラン。

四番松井もホームラン。

ホヘのバックスクリーンホームランボールは私と同じ立場、
心境の新日本経理部の村椙嬢がとっていた。

懸命に終わるまでまわりにばれてはいけない の思いで必死。
今の時代はネット社会、 ばれたら速攻。
ネットと携帯は便利だが場が悪いときもある。

私はやはりアナログの興奮と感動がよいなぁ〜。

今日は夕方、一宮海岸での真木クロウド氏の
スケートボードのイベント見学。
すごいもりあがりだがすごい柄も悪い。



私のようなウォッカマティーニ、シェイキング、NOTステアーが
人生のようなお人柄は一人もいない。
みんなレッドブルウォッカを昼間からガンガンいっていた。

来年の海でのプロレスイベントにさらにヒントをえて帰ってきました。


アダルトスクール???
2007.08.25
昨晩は昔のタンパの仲間が太東に訪問。昔話に花が咲く。

私自身93年、長州力の命令でタイガー服部氏につれられ
ヒロマツダ道場への海外武者修行に来たわけだが
英語に関しては英検4級程度。

しかも日本に住んでいたのでは会話の機会が
ほとんどゼロに近い。発音はややイギリス。
もちろんあそこまではっきりしたAの発音はしないが。

そして文法はアメリカ。
HaveよりもDoをたようするという、なんとも中途半端な
われわれ日本人が学ぶ英語。

英語を学ぶ一番の近道は脳の中で24時間体制で
英語で回転させてやるのがよい。
しかしながら、日本で英語の勉強中以外は
そのような訓練はむずかしい。

1時間勉強しても23時間は日本語になってしまう。
それがアメリカでの生活が始まると24時間体制で脳の回転が始まる。
いちいち英語から日本語に、頭の中で変換していると
ややっこしいばかりか、時には意味さえも違ってくるときもある。

第二ヶ国語を学ぶためにはギヤチェンジしたほうがよい。
英語のときは英語専用のモード。
日本語のときは日本語として。

マツダ道場が毎日のようにタンパのダウンタウンから意外とちかい
スポータトリアムという昔のチャンピオンシップフロムフロリダの
テレビスタジオで行われていた。

思いっきりの反復練習の毎日。

今考えてもそれが一番大事だったよいうなきがする。
何ヶ月たっても基礎の基礎。応用なんてまったくすすまない。
そのころは飽き飽きする練習も多かった。
しかし今となってその重要性がわかる。

マツダ道場と平行していわゆる、通学していたのが、
タンパの町が外国人のために解放している無料の英語学校。
アダルトスクールという。

名前だけ聞くと、いったい何を教えてくれるのだろうと思わさせる。
そっちに関してはまた別の授業を任意でとっていた。
男子諸君は私のみならず、誰もが勉強しているはずだ。


その学校の仲間が昨日太東に来た。
あれから早14年。時間がたつのは早い。
14年をゆっくりさかのぼって話をしていたらあっという間に夕暮れ。
時間とお酒のボトルが空くのは非常に早いなあ。

93年、私の高校の後輩も一時期私の家にホームステイしていた。
当時私が22になったばかり。後輩は21歳。
この彼は現在もNYにすんでいる。
おかしな特技を持っていた。

日本人のコミュニティーに入っても子ども扱いされているのだが、
ストリップバーに行くとこれがすごくもてる。
なかなか仕事時間外でデートなど許されないのだが、
まあこの男だけはもてた。

名前は確かロニーだったようなきがする。
よく近所のビレッジイン、パンケーキハウスに送った。

私の今現在住んでいるところも、その当時すんでいるところ
もプールがあり、テニスコートがあり、ジムがあり、
そしてどれもヤンキースと縁が深い。

昔すんでいたところは、ホヘポサダとゲーリーシェフィールドが
何件もコンドを持つオーナー。
ヤンキースファンならたまらない事実だ。


自分の部屋のオーナーが背番号20なんともおもしろい。
いま私が住んでいるところにも夜中に2番の
夜這いの情報がいくつかある。
私はやきもちを焼いているわけではない。

みんな遊んでいる。

サッカー選手の遊び方ははでらしい。
今度岡野さんに聞いてみよう。

私も遊んでいます。NYのJ氏ももっと遊んでいる。
遊び心を失ったら人間ふけるね。

食欲と物欲もあるほうが楽しみは増える。
仏様の境地になりたいものだが。
健康じゃないから私もここまで健康を追求したんじゃないかとおもう。

人間は生まれながらにして最強はありえません。
みんな努力してつかんでいる。
わたしも精進いたします。


夏の終わり〜
2007.08.24
昨日は日中は道場でひたすら練習。
ソヤがゼロワンで不在。
私のみ。

外で海パンだけはいてオイル塗って
炎天下のなか猛烈に体中から汗をかく。

都会のジムじゃ考えられないくらいのすばらしさ。
会員をとってみんなにもこのすばらさを与えてあげたいものだ。

食事は粗食で体力と精神を鍛え、
サーフィンで最高のバランストレーニング。

沖にでてプカプカと浮かんでいるだけで夢のような居心地。
太東は山の向こう側に夕日が落ちてしまうが、
沖合から見る夕暮れはなんともロマンチック。

ゴルフもたまに行きます。
これもトレーニング。

バッティングセンターにも昨日よった 。
ヤンキースが快勝したこともあり
私のバッティングも一段と乗りに乗る。

二百円で二十一球。
都内に比べるとかなりやすい。

だいたい七本長打。
ということは三割バッター?(笑)

幼稚園の先生方と教育問題に関しての討論会。

食事にびっくり!
アレルギーだらけらしい。
子供がだんだん弱体になっている。
これからの日本はどうなるものやら〜。

確実にインドや中国に抜かされる勢い…。
奴らのハングリーさは半端ではない。

世界の帝国であった日本。
なんとか若い人が一人でも多く旗を掲げて生きてもらいたいものだ。

海の家も今週でおわり。
あっという間に夏が終わってしまいそう。
二十六日にはシーサイド大塚にてマイク真木さんのコンサート。

25日、26日には一宮海岸で真木クロウド氏の
サーフィンとスケートボードの大イベントがあります 。

これが終わると夏も終わり。
だんだん涼しくなっていき秋になる。

冬が来て春が来て夏が来る。
あっという間に時間もすぎている証拠。

やりたいことは残してはいけない。
私は毎日二十四時間を完全に燃焼させています。



写真はそろそろ終わりまじかの太東の海の家。


終わり無き旅 〜人生〜
2007.08.23
千葉に戻り、練習と食事の研究生活が始まる。

先週の征夫氏が いたときのキャンプ中には毎晩、夕食晩餐会 。
パーティーだらけっ!

昼間はみっちり、夜も他のある意味みっちり。(笑)

二日酔いで内臓がかなり疲れたときには、
あまり欲張らずに休めてあげる。

冷えていない常温の水分の補給 。
水、麦茶、緑茶、番茶、玄米茶。
日中をかけてゆっくり全身に水分を潤してあげる。

体を冷やすものもやや控える。
睡眠と水分とスクワット。
   
これ、私の三大重要健康法 。

人間は足が弱ると一気に体力が無くなる。
普段車ばかり乗る人はなおさらだ 。

足の筋力は付けにくく落ちやすい。
上半身と比べるとはるかに難しい。
しかもかなり大変!!

運動選手は下半身の鍛練はあたりまえだが、
一般人でも筋力はいる。

筋肉が体のコルセット役。
コルセットがゆるんでくるとさまざまな痛みやずれが生じてくる 。

二十や三十代じゃそれほど体力の衰えはないし、
感じないかかもしれないが、年齢をとればとるほど重要になる。

足が弱ると心臓が弱り、脳の回転まで全身が弱ってくる。
人間は一日中車移動の生きものではない。

一日中歩いてこそ体内の調整が整う。
犬も、猫も、魚も同じ。

運動しなくなったらさまざまな病気にもなります。
世の中には太った方がとくに近代の社会では多い。

人間としての機能を果たしていない。

よく食べ、よく体を動かし、良く頭をつかうべき 。

不眠症や鬱病や、アトピーや冷え性。
私もガンを経験したからこそ体に対しての意識は変わりました。

朝青龍にも元気になってもらいたいもの 。
なんなら千葉にサーフィンしにくればよい。

薬飲んでそれが根本的な改善とは思わない。
ここらへんが大きな西洋医学と東洋医学の考えの違い。

ガン患者は全員ここで迷う。
どう治療するべきなのか…。

病院で手術や抗がん剤治療も治療のひとつ 。
真の治療とは、なぜなったかを考えねばならない。
そこに対して対処する。

食事なのか、環境なのか、性格なのか〜。
私は、全て変えました。

これ以上悪くならないようにとしてとる薬には、
症状を緩和させるがその病気に対しての改善には役に立たない。

とくに精神薬。
私の知人でもこの病に苦しむものが何人もいる。
医者からは一生無くなることはないと言われている。

ここらへんが東洋医学とは異なる。

症状を緩和させるだけが医者の役割なんだろうか…?
私からすれば真の病気に対しての改善とは思えない。

自分に立ち向かい、自分を知り、
自分に打ち勝つ修行をすることこそ改善策だと思う。

インドに行きなさい。
世界に出なさい。
価値観を変えなさい。


性格、価値観、世界観、思想、哲学を
おもいっきりワイドにオープンに深く追求。

何のために生きているのか〜。
何のために生きなければいけないのかが見えてくる。
人生は終わり無き旅です。


記憶が無い・・・?
2007.08.22
一晩あけた昨日も一昨日の記憶がない 。

断片的におもいだしてきた・・・
どこかで転びそのまま地面に寝ていたような気がする。
警察に起こされたような気もする。
どうやって帰ってきた のだろう ???


二十日はお婆ちゃんの命日だしゴッチさんの散骨でもあったこともあり
酒浸り供養として考える。

武蔵小山にある立野のりよ、ハーレー斎藤のバーで女子プロファンに
酒を注がれ記憶がないほど酔う.

男は二十四時間戦えなければ話にならない !
戦うのを忘れたらあとは死ぬだけだ.

しかしながら今考えてもゴッチさんの我慢強さには恐れ入る。

動脈が袋を作りそれが破裂しても、じっと痛みが引くのを待っていた。
脈がほぼなくなっても我慢していた。
体中に破裂した血液が流れ出ているにもかかわらず
冷静に手術を行う決 断を自らくだした。

イギリスのアイルOFマンという島にもかわったレスラーがいた。
肉体が痛みを感じるのは痛いと思うからであるという。
要は脳からの伝達の問題らしい。
世の中かわった方が多いい。

久々に昨日、太東にてサーフィン 波が穏やかで非常に心地よい。
夕日がきれいだ 夜、海の家で結婚式をしている方がいた。
なんともロマン チック たいまつまで火が灯され、まるでアジア。
だんだんいろんなアイデアがでてくる。

来年の夏は太東のビーチで試合を予定しています。
みなさん大集合してね!!!


まだまだくらげもでず海の家も全開
サーフィンスクールも毎日やってます。
テッドの大川氏まで。

サーフィンのあとは私と飲み会
もしくわソヤとスクワット会
まだま だ夏真っ盛りです。
海に出掛け、思う存分はしゃぎ、
記憶が無くなるほど人生を楽しんでみたらいかが!!!


記憶喪失?
2007.08.21
昨日は久々に記憶が飛びました。
どうやって帰ってきたかよく覚えていない…。(笑)

武蔵小山ののりよさんと斎藤さんの店に行ったまでは覚えている。
たまにいつきさんや服部さんとあの店によく寄る。

ニューヨークでは基本的に毎晩記憶が無い。
最大の記憶なくす事件は飛行機の中。

ヨーロッパ、オットーワンツ氏のオーストリア、ドイツ遠征に行く際に
恒例の大剛キャンプに参加のためにカルガリーに寄った 。

五月の終わりにユナイテッド航空のサンフラン行き 。
エコノミー超満員。

予約課の小林氏、当時ユナイテッド航空成田責任者の
飯箸氏に問い合わせてもあとのまつり。

どうしようもないくらいの超満員。

ボーイングジャンボ。 三四三シート。 三列右の真ん中。
しかもなかなか揺れた。

両隣は二人とも中国人。

サンフランかバンクーバーのチャイナタウンに帰るのかわからないが
とにかくこんでいるしトイレに三十分に一回くらい。

あそこまで狭くしなくてもいいのではないだろうか…。

最上級のファーストに乗るとすべてが見えてくる。

乗る前は、エコノミーが零点とするとビジネス七十点、ファースト百点。

しかしビジネスに乗りなれ初めてファーストに乗ると

ファースト百点、エコノミー零点、ビジネス四十点がわかる。

その零点シートであまりにもまわりがうるさいのと揺れるので
早く寝たい私は眠り薬を飲むことに決めた。

一粒のんでもサンフランにはつかないから思い切って二粒のんだ。

三四三の右の真ん中にいた。

眠い目を擦ると三列三列の737 。

左端の窓側に座っている。

パスポートをみるとちゃんとSFOの判子がおしてある。
不思議なものだ 。

武蔵小山の女子プロの店にいたのが大塚の実家で汗だくでおきた。
不思議なものだ。

どうやって帰ってきたのだろう〜?
タクシーか電車か〜。

今度無我ファン武蔵小山集合して
朝まで女子プロと飲む会を企画しよう !

千葉で飲む会は毎晩やってます。(笑)
千葉で波に乗る会も千葉でリングに上る会も絶賛開催中です!

よろしくお願い申し上げます。
ではまたっ!!


ゴッチ氏の後を受け継ぎ〜
2007.08.20
地震のラッシュもおわり普段どおりの千葉スローライフがはじまる。
ソヤがゼロワン主催の若手のトーナメントに出るため練習も実戦が多くなる。

弟は外でひたすら私の指示したメニューをこなす。
我々は実戦が少ないのが弱点。

私もさんざんマツダサンに手ほどきを受けたが、
お客さんを入れての実戦じゃなければ
意味が無いと口癖のようにいっていた。

確かにプロは技術練習も力はいれるが
プラスアルファとしての部分はやはり実戦が一番。

時代によって、場所によって、季節によって、相手によって、
天気によって、 体調によって、食事によって、睡眠によって様々。

まったく同じ内容というのは絶対にありえない。
やはりプロレスとは芸術なのである。

テーブルゲームでもそうだが、テーブルにつき座る位置、
持っていく話の内容、話題、酒の進み方、酔っ払い方。

さまざまなことを学ばなければならない。
酔っ払うと礼儀が出来なくなるものもいる 。

酒に飲まれる奴。

飲まれていたら何にもリードもコントロールも出来ない。

女の子に対し、スポンサーに対し、目上の先輩に対し、良き仲間に対し。
酒の飲み方も大いなる人生ゲームである。

本日八月二十日は私のお婆ちゃんの命日です。
お墓参りに行ってきます 。

そしてとうとう先ほどアメリカ時刻八月十九日の朝十時。
日本時間八月十九日夜十一時。

フロリダ州オデッサ、キーストーンにおきまして
湖上より散骨が行われました。

立ち会いは、トム氏、テリー氏、ジョーマレンコ氏の三名。
残念ながら私は参列できず、 日本よりお祈りをいたしました。

よりまして完全に昨日、お亡くなりになられたものと実感せずにいられません。
今後とも、プロレスの歴史を語ることがあるなら、
決してカールゴッチの名前は忘れてはいけません。

功績と偉大さを残していきます。

よろしくお願いします。


楽しい時間〜瞑想〜
2007.08.19
地震がすごい。
夜中だろうと昼も夕方も容赦無い。

昨日の昼は縦の強いのがあった 。
それ以外は横揺れの強いもの。

私のアパートは7階だからなかなか揺れる。

地球のエネルギーの躍動感を感じる。

ペルーでも大地震、先日も新潟地方。
台風もアメリカのハリケーンもますます巨大化している。

千葉でさらに恐ろしい問題は海面の上昇。
毎年海面の上昇でビーチがどんどん狭くなっている。

しかしながら暗くなっていても仕方がない。

なるようにしかならない。

私のビルがつぶれようとも津波がこようとも
私のサーフの先生、大川氏は常にヘルメットを持参。

すぐに逃げれる準備をしている 。

まぁ逃げたとしてどっかの避難所にでも入ったとして
食料や寝具の提供はアルが酒の提供ははたしてどうなるのだろう。

いくらなんでもお祝いではないからシャンパンというわけにはいかないが
ワインくらいは欲しい。

大変に私は非常識な話をしている。

心配してもあわてていても時間がすぎるのはみんなおなじ。
脳からの情報くらい楽しい情報を体に送りたいものだ。

もっと気楽にもっとのんびり
地震が去るのを待ってみようとおもう。

昨日の夕方、私の日課である瞑想の時間。
ベランダにでて景色を見ながらグラスワインと葉巻を楽しんでいた。

毎日のなかで一番楽しいこと〜。
それは物思いにふけ考え事をしているとき。

別にいやなことばかりではないし、
さまざまなアイデアや反省点も見つかる。

みなさんにも勧める。
このなんとも有意義な時間。

損得勘定すべてなくなる。

嫌いな人のことさえ味方に入れてあげようとも思える。

たぶんその時間は慈悲心以外なにものもない。
こころが穏やか。

高度一万メートルの太平洋上でもこの空間はある。
今この一瞬の時間の流れをひたすら楽しむ。

鳥の声、蝉の声、雲の流れ、波の音、風、太陽を
五感で感じながらいまこのゆったりしたときを味わう。

何にもないことが幸せ。

いまこうして生きていられるだけで幸せだと思う。

先祖、親兄弟にありがとうの気持ち。

赤ワインと葉巻を楽しむのはもちろんあの方からの教えでもある。
遠い空を見つめていると映写機のように映像が流れる。

あれから三週間がすぎました。

今、いったいどこで何をしているんだろう。
はかない命、大切に思い切り悔いの無いように。


太東の海〜相撲大会
2007.08.18
ソヤがゼロワン主催の若手のトーナメントに出る
記者会見出席のために練習を早めに開始。
なにがあっても練習中止はありません。

八時半だが、朝から日差しがきつい。
午前中で終了!

私はソヤの弟を連れて外房の旅。
大原、御宿、勝浦、鴨川、それぞれの海の色、波の高さを確認。

一番の確認作業は海水浴客。
昨日は御宿が一番質が高い 。

太東の海水浴場に樹脂で出来た三メートル四方の島がある。
一昨日みんなでそこにのぼり大相撲大会。

まわりで見ていたガキまでみんな参加させての大会。

さすがにいくらなんでもヒロさんを落とせる人はいない。
ヒロさんがずっと中央にすわったまんま一人勝。

この島の下側にフックさせているケーブルを見つけた
これを解除させたらどうなるのだろう。

堤防の外に出ていき、どこまでヒロさんはいくのだろう。
それを考えてい たら火傷の話より笑えてきた。

沖合いにでてもひとり、まちがって黒潮にのったりしたら
いっき に北方領土あたりまで流されるだろう。

ひたすら一人・・・ 。

よく太平洋をヨットで横断する人がいるがあれも想像を絶する。
どんな価値観を抱いて帰ってくるんだろう、話を聞いてみた い。

夕方からある知人宅にてシャンパンパーティー。
ひたすらシャンパンのみ!!

三本飲んだところで居酒屋に急行、ソヤ兄弟と大川氏。
そのあとは私の家で永遠にパスタパーティー 。
穀物を否定するものが最近多い 、とんでもない 。
元気の源はごはんを はじめとする穀物です。
逆に肉を少なくしたほうがいいくらい。

酒の飲み方、マナー、礼儀、挨拶、
ソヤ兄弟に親切丁寧に公文式のように学力アップをめざします。

無我は極道にも石原プロにも負けない縦社会。
人間は礼儀がすべてです。

最近の礼儀知らずのバカどもが多すぎる!!

礼儀こそ美しい。


シュミレーション(?)
2007.08.17
私はかなり地震には敏感。
昨日は朝から五回。
ニュースによると九回あったそうだ。

西村邸のゲストのヒロさんと吉江も昨日の地震でいい加減目が覚めていた。
しかし、座って様子を見ている。
決して立たない。

ある程度揺れが小さくなると二人して、
目の前のコップに水を入れて喉の渇きを潤し再び横になる。

昨日の朝は五回この繰り返し。
地震の度に水分補給しただけ 。

この二人にはあんまり関係ないらしい 。
太っている分、喉がかわいたらしい。

二人揃って同時に同じ仕草。
かなり笑える。

これもレスラー 。
なるようにしかならない精神。
慌てても仕方がない。

なにか起きてから慌ててみるタイプ。

昨日の朝からの頻繁に揺れる感じるのを見て、
今はやりの大地震の前触れをだれもが想像する。

海を見れば奥尻の大津波を想像し、
住居を見れば新潟の現在の状況を想像する。

二人には喉の渇きしか想像できなかったらしい。

揺れのシュミレーションというのは、また不思議なもの。
特に交通機関 、 船の揺れ、飛行機の揺れ、電車の揺れ、
バスの揺れ、タクシーの揺れ、車の揺れ、様々。

船に揺られながらこれが飛行機だと考えると、かなりの不安な状況になる。

アテンダントも着席、赤ちゃんは大泣き、飲み物も食事も一時中断状態。
まるで冬のアラスカ上空。

この前に逆をやってみた。
アメリカに行く二日前に瀬戸内海を
二十七フィートの船での船旅の揺れを体感したばかり 。

アラスカ上空での揺れの際、
目をつぶりこれが船ならばのシュミレーションをした。

なかなか心地よい 。
実際、アテンダントも着席。

空だから海だからという感覚別で判断しているところがある。
今日以降、千葉で地震の際、目をつぶり
これが飛行機だと思えばたいしたことはない。

震度五でも大丈夫 アテンダントは着席しても冷静に水を飲める。
免税品の販売さえ冷静に対処できる。

着陸一時間半前の二度目の食事はむしろ眠くていらないくらい。
揺れのなかでも冷静に緑色のI-94入国カードに記入できる。

トイレがこみはじめるから、なるべく早くすませたほうが良い。
ものは考え様とはこのことか…。

豪華料理の特番のテレビを見ながら、
ご飯と味噌汁を食べても同じような錯覚。

マサ斎藤さんと電話で話ながら目の前にはヒロ斎藤さん。
テレビのブラウン管に麻原容疑者。
横には吉江 。

もしかしたらここは第七サティアンかもしれない。
猪木さんの話しをしながらアゴ勇をみたときも
このシュミレーションに近いものもあった。

目の前にあるもの脳のなかで判断するものとが一緒か違うかで
ずいぶんと状況が変わる。

シュミレーションはおもしろい。

それだけで世界旅行が出来そうだ。
昨日は猛練習のあと、
太東のボス田中氏と一宮の海の家で昼間から大パーティー。

海の家のビールとラーメンは最高だ !

これをニューオータニのトゥールダルジャンとしてのシュミレーションはできません。
海の家はシュミレーションする必要が無いくらい最高でした!

千葉の海の家は八月二十六日でおわります。
みなさんその前に夏を感じてください。


夏はビールで体力強化!?
2007.08.16
二班に別れての合宿。
リングの練習と炎天下のしたでのコンディショントレーニング。

いきなりリングの練習はやらせない。
コンディションづくりこそプロレスの基本。

しかも徹底した足腰強化。

スクワット、ダンベルスクワット、相撲スクワット、
ジャンピングスクワット、肩車、電気椅子、砂浜ランニング、
猛烈な急斜面の山登り、永遠に長い階段のウサギ飛び登山。

上半身はヒンズー式腕立て、大剛式腕立て、ロープ引き、
差し、手押しぐるま、ダンベルをつかって徹底した半カール。

腹筋背筋、ブリッジもさまざまな多種多彩なやりかた。

リングは目の前にあるが、なかなかリングにはたどり着けない。

プロレスの練習に来たのに、リングに内に入れないこともあるが
動きは違えどスクワットもプロレス。

千葉の私の道場は、冷暖房完備の都内のジムとは違う。

昨日は暑かった。
水分補給もしっかりやらねばならない。

あんまり練習中には内臓に負担が掛かる。

おもいっきり冷えた水を飲みたいものだが、
良質な赤ワインをのむように、西村道場では
ルームテンパーチャーで振る舞われる 。

たまに水に赤ワインを少し入れることも〜。
これもゴッチ式 。

スナック菓子、ファーストフード、炭酸ジュース一切禁止。
体力が落ちる。

夜は征夫の歓迎会を近くの寿司屋にて。
憲二氏も応援に駆け付ける話もあったが、
なんせスーパースターは十人以上の一行。

お盆の最終日にそんなに入れる太東に店はない。
またのすいている平日に改めることに。

夕方から私も波乗りしたいのだが、混んで仕方か無い。
八月は無理かな …?

ようやく今日辺りから私も本調子。
昨日まで時差の残りがある。

早めの夜に疲れと酒とで睡魔が襲いはじめる。
昨日は七時すぎに帰宅。仮眠のつもりが朝まで…。

朝の震度四の地震で起きました。

道場の二階にソヤ兄弟と征夫。
うちのアパートにヒロさん、吉江。
夜中には、まいばんコンサート。

杉並少年合唱団やウィーン少年合唱団ならば
夜中の丑三つ時でも大歓迎のコンサートだが、
ここでは牛か豚かたぬきか熊の声 。

人はこれを、”いびき”といいます 。

吉江の寝ているソファーベッドがあまりの重さで倒れ、
ソファーベッドの横で寝ているヒロさんの上に逆セントーン。

起き上がろうとしたらヒロさんの左の腕に
吉江の全体重がのしかかる。

この太東におもしろい民宿がある。
寝るときクーラー全開にしないとヒロさんは寝れない方。

ある時、民宿に泊まりクーラーをみると一時間百円の表示。
とりあえず百円。

眠りかけたらクーラーが切れる。
また暑くなって目が覚めまた百円。

朝までその繰り返し〜。

次の日にクーラー代金無料の民宿を探す。

おもいっきり全開にしたら部屋が狭く、すぐに猛烈に冷える。
今度は冷えすぎて眠れなかったらしい。

ヒロさんは人生で二回も火傷を体験。
しかも二回ともカップラーメンが倒れて…。

なかなかドジなところがあります。

西村邸は暑くもなく寒くもなく、暗くもなく明るくもなく、
広くもなく狭くもなく、良いところでもなく悪いところでもなく…。

いったいどんなとこ っ!?

世界で一番熟睡できるのはタンパの私の住みか。
ホテルも大好きだが家の居心地もよい 。

たっぷりご飯を食べてゆっくり寝て、
今日もトレーニングに励みます。

みなさんこれから無我をひっぱるソヤと、
プロレス本格デビューを無我戦士として頑張る坂口征夫に
ビールの随時差し入れを大募集中です!!

夏はビールで体力強化と夏ばて予防と
人生の楽しさ開拓に励みます!!


人生はパーティー
2007.08.15
昨日は坂口征夫氏の公開練習。

新日時代、とくに長州政権時代は一切練習はシャットアウトしていた。
どこの体育館にいこうが絶対に一般人を入らせない。
道場なんかもっての他 !
体育館に働いている人さえ館内に入らせない。

我々はあくまでお金を払って借りている身分。
怒鳴ってまでも排除するのはどうかと思う。

千葉の私の道場のシステムは取材はすべてオープン。
一緒に参加も可能。

昨日はソヤの弟が体験入門 。

人間にはそれぞれ体力に格差がある。

出来るもの出来ないもの。

体力があるものないもの。

走るのが速いもの。

体が硬いもの。

ときには集団で動くことに実力を発揮できないが
個人競技はすぐれているもの。

けつをたたかないとやる気を起こさないもの。

けつをたたかれるとやる気をなくしてしまうもの。

非常に千差万別 。

ハイハイ歩きの赤ちゃんにいきなり走れといっても
出来ないように私は常にまとまりとしては教育しない。

個人個人の能力を引き伸ばす。

大剛さんがうまかった 。

おまえは何でできないと怒るのは出来る奴が基準。

トレーナーは非常にむづかしい。
なるべく音楽をかけるようにしておく。
レゲエさえも私の道場ではながれる。

怪我予防に非常に効果的 。

精神力をつけるために追い込むのもひとつだが
ぎゃくに場所を変えて解放感にひたりながら厳しくする方法もある。

練習が終われば飲み会。

昨日は道場の目の前の焼肉屋。

生から始まり赤ワイン。
征夫はマッコリ、 ソヤは冷や酒 。

よった勢いで足ヒレも付けづに
サンライズポイントでボディボード 。

流れが急すぎて即中止。
海難事故をおこすところ。

海とサーフィンは舐めてはいけませんな。
スノボーとはわけがちがう。

夜は夜で東浪見の山の上にある豪華な家のホームパーティーにおよばれ。
流れ星が計二十かいくらい見えた。

素敵な夜空とお料理にワインも進む。

今日も明日も明後日も予定ぎっしり!

人生はパーティーだね。


冷暖房完備???
2007.08.14
千葉の私の道場の自慢は、冷暖房がないこと!!!

夏は暑く 冬は寒い

谷津さんからこの場所を譲り受けるときには、
夏は涼しく冬は暖かいと言っていたはずなのだが・・・?


しかし、この環境が心身を鍛練させる!
炎天下の中でスクワット、腕立て、
汗が出るなんてもんの騒ぎではない。

熱中症の手前 我慢大会に近い リングの上も汗まみれ
坂口征夫が良い感じ、さすがだ!
自分自身で追い込んでる。

寝泊りも道場の二階、蜘蛛と蚊とゴキブリとも交流を深めたらしい。
寝ても覚めても汗がとまならい。
よほど工夫して水分補給を考えないとならない。

夜は毎晩、地元の晩餐会
昨日はボンドサーフ前の駐車場で大バーベキュー

我々はヒロさん、吉江、ソヤ、征夫、私の五人参加。
マイク真木さんがいた
一昨日はアゴ勇氏もいた。


海も猛烈にこんでいる。

海難事故には気を付けましょう!


人生にゴール無し
2007.08.13
私は昔から体質的にも、体力的にも、精神的にも非常に弱い 。
いまだにたぶん弱いのだと思う 。

ガンというのは免疫力がうんと低くなることによってなる病。
ガンをすることによりこれほどにないくらいに
弱い自分と向き合うことになる。

強い人間ならば、ガンジスにいき悟りを開く必要もないし、
台湾で漢方療法をし薬膳料理にこだわる必要もない。

弱い人間に限ってビタミンがどうのこうの、
ミネラルがどうのこうの言い始める。

橋本さんが特にそれを生前指摘していた。

酒の強いよわいもある。
世界をめぐり見ると、どうやら私の推測では
ネイティブアメリカンインディアンが世界最強のような気がする。
毎日ウイスキー二本くらいは平気でストレートできる。
これはすごいっ!

しかしながら肝機能は猛烈に弱る。
食が強い人間に限ってこれまた胃をはじめ内臓を中心にしこわす。

私はガンを患うような弱い人間だからこそ必死に立ち向かう 。

なぜなら…、 死にたくないから。

負けなくないから。

しょせんガンジスになんか誰だって行きたくはない 。

毎年のように体質改善のために
冬はインドでアーユルヴェーダ治療
夏はイタリアの食生活から体質改善策。

ガンをやらなければ絶対に行かないような街。

弱いからこそ、無力だからこそ強くなろうと必死に努力しています。

いまだにそれでも弱いからこそさらに必死に努力しています。

わたしがもともと腕力も技術も精神力も備わっていたとするならば
わざわざ二十四時間の移動をかけて
時間と費用をかけてまでカールゴッチさんのもとで
修行は間違いなくしてないと思う。
野毛の道場で十分。

みんなと一緒にトレーニングさえすればそれで十分。

なんのために人間は必死に魂を研くのか?
完璧なほど強い人間はいません。

カールゴッチさんのもとで修行したかたがたは
強くなるために修行しました。

と、言うよりも、
この世は修行の場であります。

どんどん弱さをさらけだし自分と向き合い、
そしてそれに向かい修行し向上していくのだと思います。

なにを目安になにを基準にすることもなく
日々、己に打ち勝つために今日現在修行をしています。

亡くなる寸前のゴッチさんさえも
さらなるトレーニング法を研究していました。
私からすればもういいじゃないかと思う。

しかし終わりなき旅こそ人生。

人生にゴール無し。

左の頬を打つならば右の頬も打ってくださいの、私の道…。
まだまだ修行は続きます。


本格合宿の開始!!!
2007.08.12
時差が思いっきり体にしみる。

昨晩の試合後、その足で千葉へ。
ヒロさんとスタッフの五味氏と反省会 !
ビールとともに朝五時まで・・・。

昼に起床

昼過ぎから六時までみんなでリ ングの解体、
掃除、新しいリングの組み立て。

坂口征夫の本格合宿開始
総合の技術は本物
プロレスの神髄を今日から徹底指導

夜からは田中テルジ氏らとの懇談会
明日からも炎天下の中で合宿は続きます。


プロレスとは人生
2007.08.11
予定どうりの10日に帰国いたしました。

93年からタンパに居を置き今回のゴッチさん初め、
マツダさん、ドリーさん、ドンジャーディーン、スティーブカーン、
ブライアンブレアーらと、さまざまな教えを受けてまいりました。

新日本にいるときも私だけはタンパ。
みんなは野毛の道場での合同練習。
新人のときはもうそこでしか基本は覚えられないし、
そこがいやなら辞めなければならない。

実際に多くの者が辞めてった。
辞めて他の団体でなら通用したものも多い。

最初に入門したころの基礎体力作り。
アレはすさまじく地獄を見させられる。
また生まれ変われるならと人は言うが、
私はまたあの地獄に入るなら他の職業を選びたいくらい。

しかしながらこの世に生まれてきて、
いまやらねばならないことは魂の向上。
いわゆる修行の場である。

何が起ころうとも自分の力で何の道具も使わずして
対処していかねばならない。
科学の力を使うというのはもってのほか。
自分自身の成長は無い。
せっかく我々日本人はこの東洋に生まれてきたのだから、
この素晴らしい正義と慈悲に満ちた東洋文化を学ぶべきなのである。

新人時代の野毛道場時代。
気が休まるのは風呂にはいったときと
トイレにいるときくらい。
それ以外は練習はもちろん、食事ももちろん、24時間体制の雑用。
気がおかしくなるほどの先輩の指示。
自分の時間はまったくない。

しかしながらそれを通過しなければ上にはあげれない。
30数団体ある中でほとんどの団体は
そこまでつらい修行というのは無いのではないかと思う。
下手すればなりたい人がみんななれてしまうことが
実情ではないかと思う。

それでいてそこそこお客さんが入る。
やっていることはみんなおんなじ様なものに見える。
私は思うが。プロレスとはそんなに簡単にできるものじゃない。
コンディションだけでもない、技術だけでもない、色気だけでもない。
すべてが要求されるが中でも人間の本質が問われる。

成田空港に着陸する寸前、九十九里沖から丁度
片貝海岸あたりで右に旋回。
国道51号の上を通り,畑やゴルフ場をみながら
航空博物館を見たところで着陸。

この国は天皇という神がいる。
私は別に右でも左でもないが、
プロレスに限っては最右翼なのではないかと思う。

天皇、いわゆる神がすべて。
1987年。1月。昭和天皇がお亡くなりになられました。

2007年7月28日。プロレスの神がお亡くなりになられました。

誰によってどこからどのようにこの社会が発展していったのかを
学ばなければならない。

プロレスとはそんなにまで浅はかなものではない。
プロレスは文化であり社会であり、
芸術であり人間の道そのものである。
自己満足の世界ではまったくない。

この神の死を現実として受け止め
今後の展望を真剣に考えなければならない。

このままバラエティー化してしまってよいのだろうか。
ただその場限り面白くさえすればよいのだろうか。
ただ単にマッチョでハンサムの若い選手が
跳んだりはねたりするのを見るだけのショーなのか。

皆さん、考えてもらいたい。
あなた方の人生そのものなんだと、言う事を。

プロレスとは人生。

人間の生き方がすべて出る。
ただ面白く生きるだけが人生ならば、そんな薄っぺらいものが
人生ならば私はこんなにまで研究する必要もなくなる。

ゴッチさんの死を現実として受け止め、
関係者もファンの方々もこれからの道を考えるべき
ときが来たのではないだろうか。

プロレスとはどうあるべきかとは、
人生はどうあるべきかを問うようなもの。

提供するものはどう社会に影響を与えるかを考え、
見るものはこれをどう人生と反映するかを考えなければならない。

私は今後のプロレス界の為にも人間界のためにも
何か、これを気づきさせるようなものを、
今回のゴッチさんの死で興そうと思っている。

大巨匠の死によって人々は思い感じ未来に向けて
最善の情報を発信せねばならない。

大変に大きな私自身考えさせられる
今回のタンパへの帰米になりました。

私の心には永遠にこれからもカールゴッチさんの意思を胸に
人間としてレスラーとして日本男児として生きていきます。


日本人ならば過去の歴史を、
この大宇宙に住む一人の人間ならば世界の歴史を、
心からのプロレスファンならばせめて過去40,50年位の歴史を
さかのぼり学ばなければならないとおもう。

今現在を感謝し、これからの未来も見えてくる。


いつまでも心の中に〜
2007.08.10
とうとう出発の時を迎えた。
本日9日。

昨晩、週刊プロレスの取材に応じ
ゴッチさんの昔住んでいた家に訪問。

木戸さんが2001年に来たときに突然,
私が玄関のベルを押してびっくりさせて以来、非常に仲がよくなった。
グリフィンさん夫妻。ジョーマレンコも呼び取材に応じた。

夜はゴッチさんと散々出かけたJOTOジャパニーズレストランで
グリフィンさん夫妻、ジョーマレンコ、私と、
初対面のもう一人のゴッチさんの側近、テリー氏とあう。

このテリー氏が基本的にゴッチさんの身の回りの雑用係。
弟子とはいっても50歳くらい。
背中をぱったりくっつけて2歩目でブリッジをする見事なほどに柔軟な体を持つ。
昔はレスラー。今は小学校の体育教師。

彼からの様子を伝えます。

金曜日、背中の痛みを訴え始める。

土曜日、非常に痛みが激しく眠れなかった。

日曜日、まったく眠れず。

月曜日にもう我慢の限界ほどに痛みが強くなり顔面蒼白。
治ると思って様子を見ていたがあまりに状況がひどい。
あわてて主治医に連絡するが折り返しの連絡無し。

とうとう911に連絡。

救急車手配。

家から5分のセントジョセフ病院に収容。
検査。
血圧が非常に低い。
手術をしても助かる可能性は低い。
しかし手術をしなければ絶対にそのまま死ぬ…。

ゴッチさん自信が手術を選択。

緊急手術。

大動脈瘤の破裂で体の内部、特に胃から腸にかけて大量に出欠が流れ込む。
手術後医者が、4週間時間をくださいとのこと。

手術後、意識朦朧。
目線がうつろ。
大きな声で名前を呼んでやっと目を開けるのが精一杯。

月曜入院し、10日目。

ジョーマレンコが10年以上前に家族の絶縁をしていた
ジェニンを病院に来るように説得。

まったくそれに応じず。

仕方が無いので孫のニーナに連絡。
ニーナが母を無理やり病院にいくように説得。

病院に来るが意識朦朧。

娘との10年ぶりの再会にもリアクションなし。

2週間経過。

ジョーマレンコとテリーと医者の3人で、これ以上よくならないと判断。
口からの管、点滴。

すべてを11時。はずす…。

それでも半日心臓および体の機能動く。

夜の9時45分。

お亡くなりになりました。
82歳。

以上が病院収容からお亡くなりになるまでの経緯です。

もう何年も前にトムというオハイオ州に住む人間に
ゴッチさんじきじきに自分が死んだ後の手配をすべて手配をしていた。
この人間が今回の1週間に不在なために散骨の日時が永遠と未定になりましたが、
私はこれでよかったのではないかとも思う。

何度も言い返すが、
生きているうちにどれだけ顔をあわせ交流を深めることができたと思えば
死んでからの儀式よりよっぽど大切なものなんではないか。

またこのトムという人間がたまたまこの1週間に限っていなかったというのも
私はただこの人間を攻めるよりも運命として感じることのほうが多い。

この世の中、あわててもなるようにしかならないことがある。
このタイミングというのは私があせったところで変わることは無い。

昨晩の会食で私は理解できたし、納得もできた。

思い出の赤ワインを飲みながらいつもオーダーする寿司をつまんだ。
魚だろうが、肉だろうが、ゴッチさんは田崎さんみたいなことはいわない。

常に赤。

今日現在、ジョーもテリーもいまだ日時は不明。
私は思う存分心からこの1週間追悼の祈りを捧げてきました。

多分、無くなって10日くらい経つだろうが
いまだに、ゴッチさんの追悼のコメントを出しているのは私くらいかもしれない。
私はしつこいように追悼の意をこのブログで示していますが、
絶対にこれからもこの方の存在は忘れてはいけないことなのです。

なぜ、ココまで日本のプロレス界が発展を遂げたのか。
トレーニング方法、技術、精神論。とてつもなく大きい功績。

1年や2年ですべてを知り尽くしたような顔をするバカなレスラーが大勢いる。
プロレスの道を愛し敬意を表するならば歴史を勉強するべき。

歴史を勉強なくしてこれからの未来への道が読めることは無い。
私はこれからもずっと訴え続けます。

皆様もプロレスを愛するならば
心の片隅にカール・ゴッチさんの事を忘れないでいただきたい。


追悼 〜人生最大のクライマックス〜
2007.08.08
タンパに到着して6日目。
トレーニングは炎天下の中でいつもとかわらない。

しかし今回は目的がたった一つ。
ゴッチさんとの最後のお別れ。

出発まで36時間をきった。
いまだ日時が未定。私があわてたところで仕方が無い。

なお、とうとうもうゴッチさんの遺体はすでに灰になっています。
先週の木曜か金曜に行われたらしい。

私が連絡を取っているジョーマレンコ自体も、連絡待ちの状態。
ゴッチさんには私以外3人の側近がいた。
その中の一人がもう何年も前に死んだ後の手配を
ゴッチさんからじきじきに依頼されている。
この人間が今タンパにいない。
どうやらいったん急用で実家のオハイオ州に戻っているらしい。

今回は11日に試合があるので絶対に9日には出発しないといけない。
10日に帰国して11日に試合。
早ければまたサイド12日の渡米を考えた。

しかし、今日も夕日を見ながら一人考えた。マツダサンのときもそうだ。
絶対に遺体は他人に見せてはならないとの本人の遺言があった。
マツダサンの超側近であったハワード・ブロディさえ、
遺体には対面していない。葬式をやったほうがいいという理屈もアル。

これから地上に残された方々が個人の死を悔やみ別れの儀式と
心の中での納得と理解。
人間にはいつか別れが来る。必ず人間はいつの日か死んでいく。
永遠の命ではない。

始めあれば終りあり、表があればうらがある、
この宇宙の秩序の法則がある。

ゴッチさんは絶対に葬式はやるなとの遺言があった。
人に弱みも絶対に見せない人だった。
それを考えるとマツダサンのように遺体を、
ましては遺骨や灰を人に見せたいと思うわけが無い。

足のつけの手術をして理由としては、
医者の許可が無い限りは遠出の旅行は保険の対象外とみなされる
とのことで日本に行くのをあきらめていた。しかし本心は違う。
自分が衰えたところを人に見せたくないとの事である。

一度だけ私にそのことを言っていたことを思い出した。
もちろん誰にもいえなかったし、いう必要も無いが。私は考える。
あえて灰に対面する必要も無いんじゃないかと。
もしくはそうされたくないから、
運命的なスケジュールのタイミングが発生しているような気がしてきた。

私自身、98年。ガンをやり、病院に入院していた。
お見舞いに来られるのは何とも複雑。
弱って体調が悪いのをわざわざ様子を見に来てほしくない
と思うところがある。

調子がいい、元気なときはどんどん千葉にもタンパにも大塚にも
友人を呼びたい気分にはなるもの。
だからそれから私自身、お見舞いが嫌いになってしまったし、
マツダサンの死後、葬式でも遺体の顔を見ないようにしている。
死んだ人の気持ち、病人の気持ちを最優先している。

なんだかそんなことを考えていたら、
元気なときにたくさん会うことができたし、
逆にそのことこそが一番大事なことなんじゃないかと思う。

死んでから、病気になってからよりも元気で生きていいるうちに
顔を見せるほうがどんなに大事なことだろうか。
多分このまま行くとなんにも起こらないような気がする。

もう運命に任せることにしたい。

行く運命なら行くような段取りになるだろうし、
行かない運命ならなんにもない。
心の中でが手を合わせればきっと
思いは届くのだろうと信じている。

そうだ。

逆に灰を見てがっかりするより。
あの元気な姿だけ目に焼きついているほうがいいのかもしれない。

おばあちゃんもそうだった。
最後息を引き取るときは、誰もいないときだった。
寂しかっただろと母は悲しんだ。
私はおばあちゃんの性格を考えると狙った行動だとおもう。

マツダさんの最後は、もう話もできないし、
ほとんど動くこともできない状態なのに、必死に家族三人、
娘二人、奥さんそれぞれの顔を見て、
深呼吸を2回して、息を引き取った。

私はこのお二方巨匠からトレーニング方法、精神論のみならず、
死に方にいたるまで勉強した。
人生の最大のクライマックス。

死、別れ。

ものすごい深い。


追悼 我が心 〜カールゴッチ氏に捧ぐ〜
2007.08.07
8月3日、サンフランシスコ、デンバーを経由しタンパに着いたのは
日付が変わり4日の深夜1時半。

箱崎ターミナルをバスで出発したのが1時半。アメリカ時間の12時半。
ということは箱崎から23時間かかったことになる。

今回の渡米ほど、機内で様々な事を考えさせられたことも無かった。
満月とは行かないものの1割ほどかけた月の明かりが太平洋の洋上を
照らし、星の輝きが見事にみえる。

マツダさんの危篤の知らせを聞きすぐに飛んだ99年の事を思いだす。
シカゴについて自宅に電話を入れたらもうなくなっていた。
娘のへザーの泣き声を電話越しに聞くのが我慢できないくらいに
つらかった。

そして今回。もうすでにゴッチさんはこの世を旅立たれている。

機内では映画を見るわけでもなく、酒びたりになるわけでもなく、
ただひたすら窓の外の星空をみるばかり。

日本では多くのゴッチさんの生徒がいる。
猪木さんから始まって本当に多くのかたがお世話になった。
みんな昔の話として何年どころか10年以上も最近は
会っていないのではないかと思う。

私は、とうとう最後の弟子になってしまったが、
私に限ってはタンパにすんでいることもあり過去6年間は
見事に毎月顔をあわせていた。

大体の滞在は1週間。長くて2週間から3週間。
短いときは4日なんて事もある。

あの人はお酒を飲みながらのロングトークになるから
時差ぼけがまだ取れない3,4日以内に会うのはかなりきつい。
大体が4日経過以降になっていた。

夜とりあえずタンパに到着し、翌日の朝からの行動に備え
まっすぐに私のアパートに直行。
換気と掃除をしながら多くの請求書の始末。
電話が完全に切断されている。

7月に戻る予定で6月にはオーバーペイメントしないで
帰国してしまったから。本来は7月の上旬にタンパに戻る予定だった。

急遽、ウワイステーションへの出場が決まりそれに向けて数日の
渡米を控えた。そのことを電話で伝えたのが最後の会話になった。

電話口で笑っているのがわかる。
いつも冗談で俺のことは心配ないよ。みんなによろしく伝えてくれ。
私はまだ死んでないからというのが口癖だった。

それを思い出す。

その言葉は何百回聴いたことだろう。
でもいまはその言葉が通用しない。

前回は5月の終りに日本食レストランJOTO、
6月の始めにはハイドパークにある、TIMPANOという少々しゃれた
イタリアンをつまみにボジョレーをのんだ。
これが最後の対面。

今、そのときの会話を思い出すと非常に深い。
なぜか知らないが、そのときに限って死後や前世の話が多かった。
ゴッチさんは言っていた。
私は肌で感じることやこの目で見えないものは
一切信じていないんだと。
この会話が最後の会話。

2005年に坂口さんと憲二さんがテレビの撮影で来た。
フロリダに関しては私がすべてコーディネートしたわけだが
そのときが80歳。81歳になる手前。
テレビでも映っているが押し相撲をして全力でやったが勝てなかった。

この後くらいだろうか。毎回会うたびに本当に少しづつ顔が
老いていくのを感じるようになった。
しかしあった瞬間だけ。20分もすればその顔に見慣れてしまう。
変化はわからなくなってしまう。

よく食べるし、よく飲んだ。80を超えてもものすごい負けず嫌い。
私より常に食べようとするし飲もうとした。絶対にギブアップしない。
それは会話の中でもひしひしと感じた。

次の日にジョーマレンコに連絡を取りいまだ散骨の日時の
待機中とのことをしる。

なくなる直前に住んでいる家は今年の2月から引っ越したばかり。
前回のコメントでも申し上げたがもうそこにはだれもいない。
ブラインドの隙間から部屋の中が見えた。

もう何にも無いし、誰もいない。

奥の部屋はベッドルーム、薄茶色の毛布がかかるベッドもない。
手前のリビングには大きなこげ茶色の机とイス。
リビングの右奥には腕立てやコシティーをはじめとした
トレーニングの器材が山とおいてある。

冷蔵庫の一番下の野菜室に私の買っていく葉巻を保存し、
冷蔵庫の左のたなにボジョレーのワインを保管しておく。
冷蔵庫の中には常にミネラルウォーター、ヤギのミルクと
チーズとブドウが入っている。
部屋にあったのはあの冷蔵庫だけ。

ハンディキャップの方専用のパーキングスペースには
愛用のサターンの白のステーションワゴンがとまっていた。
もうなんにもない。

毎月毎月あっていた私にはいまだにそう簡単には
事実をいまだ受け入れられない。
私に秘密でどこかに引越ししたようで仕方が無い。

物思いにふけ、いつも私が練習しているセントピーターズバーグの
さらに南側のフォートデソトパークに向かう。

93年にタンパに来て日本では勉強できないことが
このタンパには山ほどあった。

巨匠であり師匠であり、教授であるかたをなくしたこの私の心。

これから何を目印にして生きていったらいいのだろう。
1週間やそこらじゃ整理もつくわけも無い。

今日8月5日現在も散骨の日時を待機しています。
日本からは結局誰も来ることは無い。
あれだけ世話になっていながらもみんな自分のことで精一杯。

日本のプロレスの歴史をつくったひとである。

ゴッチさんが日ごろいっていた。
顔をだすこともなく、電話も入れるわけでもなく、
1年に一回だけのSAY HELLOのクリスマスカードなんて
私は大嫌いだと。

葬式やいかなるセレモニーは絶対にやるナとの遺言まである。
生きているうちに顔を出さないくせに死んでから、
ノコノコと顔をだすな!

ゴッチさんらしい。

Don`t worry, I don`t die yetがDont` worry , I already dead.

You don`t need to take care for 82 years old man.

笑顔で言っているのが実に目に浮かびます。


そこには いない・・・
2007.08.05
西村です。
ゴッチさんの弔問のため緊急渡米し、タンパに無事に到着しました。

回線の調子が悪く、パソコンがつながりません。
ブログの更新は復旧し次第、予定しています。


ゴッチさんの散骨式は週明けになります。
故人の遺志により、ゴッチ道場近くの湖に散骨します。

8・3はゴッチさんの誕生日でした。
生きていれば83歳の誕生日でした。

私はゴッチさんのアパートに行ってみました。
もうゴッチさんはいません。
でも、今にも元気に出て来るような気がして…。

今の気持ちは、悲しいとか辛いとか、そういう言葉ではとても言い表せません。

海を見ながら、ゴッチさんを思い出しながら夕陽に向かって
私はひたすらヒンズースクワットをしました。

日本のプロレス界を代表して、私が最後のお別れをきちんとして来ます。


ゴッチさんの教えは私が受け継ぎます。
後世に伝えます。

そうゴッチさんに約束して見送ります。

みなさんも心の中で手を合わせて下さい。

プロレスファンの気持ちは、きっと天まで届くと思います。

by Pure?Blo事務局より
  国際電話にて


タンバへ〜。 
2007.08.03
いまからタンパに向け行ってまいります。
空港のカウンターで武藤さんとばったり。
思う存分、悔いの無いよう最後のお別れの挨拶をしてまいります。


大切なもの…
2007.08.02
京都でスポンサー関連の挨拶まわりを終え20日ぶりの帰京。

台風が九州に来ている。
京都もかなりあやしい雨雲。

風はないがかなり蒸し暑い。
物凄い外人の数。

私がギリシャやイタリアにいって神殿や寺院にいく感覚。
私はあまり観光巡りはしない。

町のバーに入ってちびちびやるのが私の観光。

昨晩は比叡山の近くに宿泊。
イタリアレストランで夕食会。

しかし楽しい時間なのだが心は三分に一回はトリップしてしまう。

赤ワインを飲めば思い出し、 パンが出てくれば思い出し
肉が出ても魚が出ても、 その後、スパでサウナに入っても思い出し…。

いまだ自分自身の頭の中で処理できません。

もっとたくさん聞きたいことがあった。

しかしもうすべて不可能。

なにもかも不可能 。

あの世で会えるといってもこの世での質問が山とある。

この世に残されたものにとっては、
死別というものほどつらいことはない。

鈴木みのる、藤原さん、木戸さんとも連絡をとって現状を説明。
私以上にやりきれないと思う。

会いたかった人は山ほどあると思う。

私はあの人のすばらしさを伝えるために何度も何度もツアーを行った。

しかしみんな忙しい。
集客は見事に悪い。

しかも何を言おうが遠い…。

でも今考えてほしい。
トゥーレイト だからこそ私は常々人間は行動力だという 。

お金よりも時間よりも超越することがある。

人間はいつかかならず終わりが訪れる。

毎日ボケーっと生きても、あわただしく生きても二十四時間。
私は時間もお金よりも大切な何かがあるのだと思う。

ある人には家庭、仕事、趣味。

私の場合は、人生すべてプロレスです。
これがすべて。

だからこそ、カールゴッチさんは偉大であった。

愛する人を失った …。
これから私はどう生きれば良いかわからないくらいに淋しい。


偉大なるゴッチさん
2007.08.01
13日のウワイステーションにでて、
東京の家を出てからまだ帰京出来ていない。

28日から大阪、その前は沖縄、昨日は岡山、小豆島、鳴門、今日は京都。
明日ようやく帰京 なかなか飛行機がとれず、
最後のお別れも出来ないのではと考えた。

葬式もセレモニーも一切行わない。
本人の遺言。

あんだけの侍の精神をもっているなら
死んだ姿なんかは人には見せたくないだろう。

マツダさんも葬式はしなかったしお墓もつくならい。
海に散骨。

たまたまアメリカの携帯に留守電を聞いたらぞくっとした。

ゴッチさんから 調子はどうだい? みんな元気か?

私は一瞬自分の耳を疑った…。

そうしたら前に入れて消していなかった留守電。
これは二度と消せないなくなった。

私とゴッチさんの間にいくつかの約束みたいなものが存在した。

一週間に一度はセイハローだけの挨拶でいいから電話しろとのこと。

二週間以上連絡が出来ないというか、
時差を狙って待っているうちに忘れてしまったときなどかなり怒られる。

大好きな葉巻とワインをいつも持っていくのだが、
ブランドにこだわるなとのことをいつもいわれる。

日本からすると葉巻を買うなら
コヒーバやモンテクリストにこだわりたくなる。

するとゴッチさんはそんなに高いものを
箱ばかりカッコ付けても私は箱を吸うわけではない。

逆にやすくてよい品が買えるところをタンパ市内に教えてもらった。
ワインもそう。

シャトー何チャラというのは関係ない。
一番大衆にうけているものを好む。
一番間違いが無いという考え。

ゴッチさんのお土産は日本から持っていくものはない。
タンパに行ってタンパで買う。

頑固なゴッチさんらしい。
キューバの移民が手巻で作る。
非常に質も高い。

もう葉巻もワインも持っていくことがなくなってしまった。

私にとってタンパって何だったのだろう…。

レスラーか野球選手でなければタンパに住む理由もない。

なぜレスラーに理由があるのか〜。
教授レベルのレジェンドも含むレスラーが
全米一すむから練習に事欠かない。

しかしいまマツダさんもいない…。

ゴッチさんもいない…。

これからの教授はだれにしよう。
それだけ私にとって偉大でした。


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