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名前:西村 修( ニシムラ オサム )
生年月日:1971年9月23日
出身地:東京都文京区
身長:186cm
体重:105kg
所属:07年10月19日付で、全日本プロレスに正式入団。
■デビュー
1991年4月21日、新日本プロレス・沖縄県糸満市西崎総合体育館での飯塚孝之戦でデビュー。
■得意技
コブラツイスト、エルボースマッシュ、倒立など
■闘 病
98年にはガン(後腹膜腫瘍)による長期欠場を強いられる。
■復 帰
00年6月・日本武道館での藤波辰爾戦で復帰。
■映画出演
04年には、奇才・河崎実監督による映画『いかレスラー』で初主演

全日本プロレスリング所属の正統派プロレスラー。
彼の名言には3ゴング!!
 
 
 
 
 
湖にて…。 
2007.10.31


先日私は今回のタンパに来ました目的のひとつ。
ゴッチさんに会うためのこと。

8月の中旬に散骨はすでにされましたが、
私は11日の試合のために帰国したため
立ち会うことはできませんでした。
今回が湖に散骨されてからのいわば初めてのお墓参りとなりました。

とても素敵な花の飾りをお花屋さんに作っていただき、
ゴッチさん愛用の葉巻、ワインと日本から持っていったお線香をそえ、
花の飾りを献花してまいりました。

人間が亡くなると
生きているものには時間と共に忘れ去られるもの。
2年前に亡くなりました橋本さんのことにしましても
今では名前さえもう出てまいりません。

日本のプロレス会を作り上げたと言っても
過言ではないゴッチさん。


人間死んでしまえばそれで終わってしまうのです。

輪廻の理屈があるにせよ、
生まれる直前に産道をとおりあの世の記憶を忘れさせられるにしても、
今この世に生きている人はこの世の出来事がすべて。

時間はだれにも平等に神が与えてくださったもの。
一年の時間もあっという間に…。

50年の時間さえも夢、幻のように…。

26歳にして癌を患いいまだ時間を有効に使う思いは変わりません。

誰がなんと言おうと責任は自分自身。
後悔する生き方だけは避けたいものです。

さまざまな思いを胸に神様が
あの世の神様になったゴッチさんと対面してまいりました。


先生 訪問
2007.10.29

フロリダ州オカラに私の先生の一人を訪問。

タンパから北に85マイル。
約一時間半。

私が彼に初めてであったのは90年代前半。
第一回目のアメリカ修行時代。

生まれはテキサスだが2回目の結婚を期に全米一、
馬の競売の町で有名なオカラに移った。

コネクションは90年代だが正式に門下生となり
弟子入りしたのは2001年。

タンパにも戻ってくるなり手取り足取りマンツーマントレーニング。

今回のことでも先生に報告をしに訪問。

いまだ全米中から学びに訪れる生徒のためにトレーニングキャンプを開催している。
彼自身もいまだ現役。

プロレスとは経験とキャリアのスポーツ。

彼の名はドリーファンクジュニア 。

写真は2005年 テレビで訪れた際のものです。


歴史と伝統
2007.10.27
11月23日からのパートナーがようやく決まった。

渕さん。すばらしい。

私は全日本に入る目的の大きなひとつに、
私の哲学のひとつでもある歴史と伝統を
感じたかったということがある。


ベルトの重みひとつをとっても、なんてプロレスは、
歴史を伝統をこよなく愛するかを感じさせてくれる。

ルーテーズ、ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さん。
さまざまな全日本の歴史を作った偉大な先輩方の
汗がしみこんだベルト。

どっかの団体みたいに数年ごとにリニューアルという発想は
わたしは反対。プロレスイコール人生。

思い入れを深くさせられることこそ最大の醍醐味。
素晴らしいパートナーと組めることに最大なる感謝をいたします。

ぜひとも歴史と伝統ある世界最強タッグにご注目ください。


全日本入り報告!
2007.10.26
一昨日、ヒロマツダさんご家族にご挨拶。
全日本入りを報告。

マツダさんの家にあるアマチュアレスリング協会の元大御所中の大御所、
八田一郎氏がマツダさんにプレゼントした
価値ある直筆の闘魂の文字が玄関にいまでも掲げられている。

写真はマツダ婦人、娘のステファニーとそのご主人。


マツダさんももちろんゴッチ門下生。

タンパで私が出会えた方々すべてに御礼を申し上げます。

マツダさんも99年になくなり今は亡き人。
誰がなんと言おうが私にはやらねばならないことがある。

私はこれからもそれをやり遂げます。


全日本の大先輩達!
2007.10.26
昨日は私のホストファミリー的存在である
ブライアンブレアー氏が定期的に行っている
チャンピオンシップ・レスリング・フロムフロリダの
チャンプたちを囲む会に合流。

ブライアン以外は皆さん全日本経験者。
タンパの往年の名選手の仲間たちが大喜びで出迎えてくれた。


左からトニー・マリノ、バディー・コート、ジャック・ブリスコ、
私、ブライアン・ブレアー。

70年代ではこのメンツがタンパを仕切っていた。
これにエディグラハム、ヒロマツダ、デューク・ケオムカ。

私は今後も歴史と伝統のプロレスを重んじ、敬意を表します。


真実はひとつ
2007.10.25
「真実はひとつ」

パソコンのケーブルの不調で、パソコンがつながらない
状態が続いていますがブログの状況等は聞き及んでおります。

みなさま、熱いご意見ありがとうございます。

オフィシャルHP「終わりなき旅」は、
管理人さん側の都合で休止になりました。
今後は、このピュアシティーのブログに専念して行きますので
よろしくお願い致します。



前からの予定で渡米して参りましたが
離れてみるとわかる事もあり
予想以上に冷静な自分がいます。


本日はヒロ・マツダさんのご家族と会食し
全日本への移籍のご挨拶をいたしました。


マツダさんは99年に亡くなるまで
「無我を守るのは君だよ、修」と何度も私に言っていました。


95年の旗揚げから12年。
途中で幾度となく消え入りそうな無我の灯を
絶やさず、ともして来たのは私です。

特に97年12月から2006年1月まで、8年以上の長きに渡り
無我としての自主興行を打っていない期間
新日が開催した無我は別物と考えますので

その間、これはもう正直言って、忘れ去られたものでした。


長州政権の中、たった一人で身を呈して守って来ました。

それは紛れもない事実です。
当時を知る人に聞いて下さればわかる事です。


「聞いてない、知らなかった、あるいは度重なる前言撤回。
何度もそんな事があって今回もまた…」
少し愚痴になってしまったのですが

「真実はひとつだよ。そのうちわかる時が来るさ」
と笑う、マツダさんの穏やかな丸い笑顔が
空の彼方に見えた気がしました。


真実はひとつです。

上記の文は西村選手と国際電話にてお聞きした言葉を
正確に載せさせて頂きました。PureBlo事務局


信じた道
2007.10.25
始まりがあるから終りあり。

悪があるから正義がある。

表があるから裏がある。

これからも今までどうり

私は自分の信じた道を歩みます。


似て瞑すべし
2007.10.20
「以て瞑すべし」


男には、言いたくても言えない事もあります。

これ以上は言わないのが仁義だという事もあります。


私が悪者になる事で、それで気が済むのなら
全てが丸く収まるのならばどうぞ私が悪いと、
そういう事にしておいて下さい。


ただ、これだけは言わせていただきたい。

無我を守って来たのは私です。

無我は私です。

これだけは、七度生まれ変わっても絶対に譲れません。

今、私はフロリダにおります。

ゴッチさんの魂に、無我退団の経緯を話し、
全日入団の挨拶をしに参りました。

フロリダは綺麗な月が出ています。
青く澄んだ月光は、全てを見通しているかのように
人間を照らします。

浮き世の月にかかる雲なし。私の今の心境です。


私はやるだけの事はやりました。
限界まで精一杯やりました


「以て瞑すべし」です。

上記の文は西村選手と国際電話にてお聞きした言葉を
正確に載せさせて頂きました。PureBlo事務局


全日本プロレス
2007.10.19
紆余曲折

人生は色々あってあたりまえだし、

色々あってこそ楽しく、

それが人生だ !


いまから渡米します。

全日本プロレス 西村修


男は行動あるのみっ!!
2007.10.18
人間にはやりたいこと、またそうなってほしいことがある。
98年病に冒され私の人生観は180度変わった。

26歳にして人生にはいつか終りがあるということを知らされた。

病気をして9年目の今日現在も、いまだに早歩きで人生を歩いている。
レスラーとして考えたら、また時間というのは限られてくる。

人生のここぞというチャンスというものは
そんなに多くの機会にめぐりあえるものでもない。

もしかしたら3回くらいしかないのかもしれない。
94年、帰国命令を拒否したことがあった。

長州リキ、坂口社長、永島勝司氏と永遠3時間くらいに及ぶ電話会談。
結局決着がつかず勝手にしろとのことで結論。
それからの冒険はものすごい貴重な時間となる。

私があそこで日本に帰国をして
おとなしく天山と金本と3人タッグを組んでいたらどうなるだろう。

もしかしたらを考えるのも面白いが後悔はしていない。

わたしはただこれだけは言える。

のんびりだらんと生きているのだけはさける。
男は行動に移さなければ価値も無い。


特にそれらの考えは病気が教えてくれたこと。

”いつまでもあると思うな親と金”とはよく言うものだが、
『いつまでもあると思うな時間と命。』

まさにこの一言に限る。
男は行動あるのみ!


人生いろいろ・・・
2007.10.17
昨日つくづく感じる。

歴史と伝統はすばらしい。
重くもあり深くもある。

いろんなことがあるのが人生だ。

みなさん 明日をお楽しみに!!


ラジオ収録
2007.10.16
昨日も午前中は歯科医にて検査とクリーニング。
昼過ぎから打ち合わせ。

夕方大塚の実家に戻り近所をダンベルをもって
スクワットしながら競歩。大変にいい運動。汗びっしょり。
人の視線がたまに気になるが、これも修行。

住宅街なのでいくらなんでも人の家の目の前で
スクワットは失礼に当たるので、
ちょっと隠れた駐車場や空き地にて実施。

終わったらまるでコシティを扱うようにぐるぐる回しながら歩き始める。
大変にいい運動。汗びっしょり。家に帰り、シャワーをとり
大塚の商店街の居酒屋で人と待ち合わせ。

2次会は大塚の、てなという名のたこ焼きや。自分で焼くたこ焼き。
もんじゃ焼きやお好み焼きのみせはどこでもあるが
なかなかたこ焼きを自分で焼かせてくれる店はすくない。
白ワインとたこ焼き。やや早めに解散。

私は12日の日に上の階のお姉さまにつれられ
ラジオ日本の収録を済ませました。
この放送は明日の17日の夜23時半からやります。
ぜひ聞いてください。杉澤修一の戦いの掟という番組。


さあ今日も用事が後楽園ホールにあり、
リンカーンをすっ飛ばしていってきます。
わくわくどきどき。ナマステ


征矢の家出!
2007.10.15
昨日も千葉にて練習。
今日もなぜか征矢は不在。
家出したんだろうか?


私がこの道場を借りて1年少々。
太東にすみ始めてからは1年と5ヶ月。
昔からこの道場の存在はしっていたから
引っ越すのはそれだけが目的なわけじゃなかったけども
家から道場が近くにあるなんて抜群に都合のよいとは思っていた。

すみ始めてからもうほんとに数ヶ月。
前のオーナーからこの場所を引き受けてくれないかとの話。
すぐに無我の会社に掛け合い了承を得た。

しかしながらみんなで合同キャンプを張ったときに
遠すぎるとのクレーム。もう契約はした後だけに、
私個人が受け持つということでスタートしたのが
この道場がなぜ私の道場なのかの始まり。

前のココにすんでいた練習生が飼っていた
野良猫もいまじゃ私が引き受けている。
もちろん私が不在のときは征矢が。
しかも征矢は大のペット嫌い。

たまにソトでスクワットをしているときに足に間取り付くときさえある。
私は今じゃえさおじさん。犬は好きだが猫は昔からどうも苦手だった。
しかしずっと顔を見ているうちにだんだん、向こうも私の顔を覚え、
私が来るとそばによってくる。ニャーニャーと鳴く。

仕方が無いからいつも私が近所のスーパーに行ってえさを買ってくる。
しかし猫はかってだね。おなか一杯になるともう二度と
私のそばには来ない。

その点、犬は愛嬌がある。いくら怒っても飼い主には絶対に服従する。
道場にいるのは猫の4匹とクモが20匹くらいと人間が一人。
ゴキブリにカラスはたまにやってくる。

すずめも征矢の話だと屋根裏に巣を作ったらしい。
もうしかたがない。ムツゴロウファミリーと思えばは腹も立たない。
フジテレビで取材してくれたらいいのだが。

近くには乗馬センターもある。
海に行けばたまに海がめやイルカが顔をだす

近所のおばあさんのほうがよっぽど動物みたい。

自転車に乗ってうろうろしている青年もいる。
彼は無職。いつも自転車に乗っている。
のん兵やアル中はそこらじゅう。
でもみんな共存共栄しながらすごいハッピー。

大川氏と中野雄太はヒッピー。
自然はいろんなことを教えてくれる。
お金でもない、地位でも名誉でもない。
人間はいったい何がゴールで走り続けるのだろう。

私もいったいあと何百万回のスクワットと
腕立てを続けねばならないのだろう。

筋肉は一回つけてもやらねば落ちてしまう。
毎日毎日永遠に継続しなければならない。

心臓なんか動かさなければ驚くほど日に日に弱っていく。
毎日しんどい思いをひたすら続けねばならない。
生きることって大変だ。毎日毎日続けることも、本当に大変。

サラリーマンの人たちなんか、
なかなか自分のコンディションを見つめなおす
機会なんて無いのだと思う。

毎日接待で肝臓にも、内臓にも負担をかけ、運動も不足し。
気づいたら大きな病気に何てことも。

毎日でいいから継続できる運動をおすすめします。
健康と精神のバランスと調和を考えて生きていただきたい。
食事も粗食が一番体にいい。


シンプルにすればするほど答えが見えてくる。
生きるとは、食べること、体を動かすこと、よく寝ること、
物忘れをしないこと、いらいらしないこと、楽しいこと。これこそ人生。


哲学的思考<プロレス>
2007.10.14
昨日は一日中千葉の私の道場。
そやをしごこうかと張り切るや彼はたまたま不在。

コンディションのいいときは逆に練習時間というのは早めにあがる。
息が上がるのが少なくなるのでセットの間を短くすることによって
合計の時間が短くなる。

段々夕方からずいぶんと涼しくなってきた。
夜は来客一人を向かえ、大川氏と3人で高山という名のバー。
茂原にあったという伝説のSHAIKEというバーが
この東浪見の町に移動してそのお弟子さんがいまでも構えている。
なかなかよいバー。

おなかがすいてきたので、128号沿いのご飯が抜群に
美味しいレストランに行こうとしたが残念ながら満席。
カウンターが4人。テーブル席が2つのみの
キューバンスタイルのしゃれたレストラン。

仕方が無いので結局は私の家のベランダでこじんまりとBBQ。
シャンパンの気分であったが、この太東ではなかなかてにはいらない。

どうしようもないのでうちにたまたまあった。スペインのCAVAで乾杯。
食後は赤ワインに葉巻。

タンパにはゴッチさんが亡くなった直後にいくことができたが、
新日時代のように行ったり来たりほどの時間はない。

どこでもドアがほしいものだ。

次の試合は16日。無我ではないが猛烈に楽しみ。
プロレスの尊敬する歴史と出会うことは、
私のように歴史学と哲学を学ぶものにとってどれだけ思い意味のあることであろう。


昨日も物思いにふける。

バーとプロレス。
BBQとプロレス。
予約で一杯とプロレス。
日々涼しくなることとプロレス。
赤ワインに葉巻とプロレス。
タンパを恋しく思うこととプロレス。


自分がまるで詩人気取りのさまざまな見解が見えてくる。
ものすごく面白い時間。

考えることは人生を面白くも、奥の深いものにも捉えられる。
考えることはいいことだ。

本能的、反射的とはかけ離れた、まさに大人の行為。
早くタンパのお気に入りのバーでヘネシー片手に瞑想。

嗚呼、なんて生きてることは幸せなんだろう。


バーめぐり
2007.10.13
私はたびたびいまだに歯科医にかよい歯の治療をしています。

お酒を飲むようになって、しかも甘いものをまったくといっていいくらいと
子供のころのように虫歯が激減したのはいいのですが、
プロレスであごをうったり、ぶつけたり、歯をかみしめたりと。

中西のようにマウスピースは私の理論には無いもので川田さんの
ようになろうとも歯を見せることもプロレスの見せ方の一つ。

怪我をしないようにとの見解からのマウスピースや、
膝を打たないようにするためという見解での膝のサポーターは
わたしの美学ではありません。

もちろんトレーナーの見解は怪我をしないさせないとの
見解があるのは十分承知ですが。
起こってしまった事態にも対処しなければなりません。

何々にならないためというような生き方だとしたら、
私は98年にとっくに放射線治療をし、
より高確率で再発を予防していたと断言できます。

どれが正しいとも思いませんしこれもこれ。
行き方はひとそれぞれ。感じ方も人それぞれ。
見る方も見せる方を100%完璧などいません。

しかしながら昨日のひと時も完璧。
夕方、ラジオ日本へ。
詳細がわかり次第、放送の日時をお知らせします。

杉沢さんという元テニスプレーヤーのかたのラジオ番組。
戦いの掟。彼もテニスの活動でしばらくの間マイアミにいらしたそうで。
話があうこと・・・。

いい気分で親しいかたと久しぶりのオークラに。
昔、このビルの中には私のお気に入りユナイテッド航空の営業所が
あり本当にここにもよくきたものでした。

決まってよるのが本館のロビーのすぐ横にある
ハイランダーという名のバー。
ジョンレノンが常連だったそうです。
最近で政治家連中。

昨日は初のバー・オーキッド。
ココも素晴らしかった。
オークラのよさはサービスももちろんだが客層がちがう。
一切ミーハーなものがいない。
フォーシーズンもそうだが駅前は、ホテルと違ってわざわざ
このホテルに用が無いとくることがない。

オーキッドの後は時間もおそくなり、カメリア。
大変美味しくいただき、京葉道をはしらせ太東に。

すっかり地元の私を待っている酔っ払いと友達。
このひとと必ず会うのがスリーダイスのうらにあるラーメン屋さん。
寝る前のビールに餃子もいい気分。

オークラのバーにラーメン屋さんのバー。ある意味バーめぐりでした。


タイム・トゥー・ゴーFor INDIA
2007.10.12
久しぶりに昔の企画部部長。永島勝司氏にであう。
彼は90年代後半の黄金期に長州リキとともに
一時期ブッカーをつとめていた。マッチメークもかれら。

まあ積もる話もあるし、無我を徹底否定されていたし
長州政権の右腕だったのでそのころは
とんでもないほどのうらみもあった。

確かに私は右向け右には向いていなかった。
左か下手すれば後ろをむいていた。そんなことは昔のはなし。
今彼はヴィヴァ・ファイトというフリーペーパーの編集長。
わざわざ大塚まで出向いてもらった。


WJ崩壊にしろ新聞社の倒産にしろ
紆余居癖の人生ではなかったとおもう。
11月3日発行するらしい。見つけたらぜひ読んでください。

夕方から表参道の美容院。また坊主頭。
私は長いのがあまり好きでない。

最初のアメリカ遠征では変身願望から
長髪にチャレンジしていた時代もあったしパーマをかけたこともあった。
パーマをはじめてかけたときはモーツアルトみたいになってしまった。


友人と待ち合わせ、どこかでのもうとの事。
せっかく表参道。渋谷のセルリアンタワーにいくか、六本木にいくか、
大塚に帰るか、新宿に出るか、成田も考えた。

成田の参堂にある、酒屋さんが経営する
バーとイタリアンが合体した店、てっぱつ屋というみせ。
バーなのにヴューヴ・クリコが5千円前後でのめる。
つまみも非常にバランスが取れている。

新日本時代、まだ鴨川にも太東にもアパートを持つ前、
私は隠れがホテルというか練習場所として
成田ヒルトンをこよなく愛した。

サッカーの選手をよく見かけた。ホテルのバーに入っても
喫茶室にはいってもエアラインのクルーが大勢とまっている。

日本に飛んでくる外資のエアライン。
となると4本線のパイロットは
大体がボーイングジャンボの機長ということになる。

国内線の500人乗りはともかく、
国際線の3クラスエアクラフトで350くらいであろうが
その命を預かるしごと。顔つきが映画俳優ともまたちがう。

飛行機ファンの私は飛行機に乗ったり見たりするのももちろん好きだが、
パイロットの話や考えやしぐさにまできになるところだ。

話は戻るが結局いったことのない、りッツにした。
大阪のリッツには試合後よく一人で
マクロバイオティックのディナーコースを
食べに言ったりはしていたが東京は初めて。

バーを探すと45階。夜景またすばらしい。
3階分くらいはある天井。またそのぶんだけ大きな窓。
やっぱりココはビールじゃない。シャンパン。

昨日はユナイテッドクラスのファーストで置いてある
ポール・ロジャー。なかなかよい。
ポールをいただきながら東京のアジアの夜景を見ていたら、
タイとインドに行きたくなってきた。

そろそろタイム・トゥー・ゴーFor INDIAかな。


拉致?
2007.10.11
昨日は後楽園に 用事があり 用事がすみトレーナー室をのぞくと
私の悪友が久々の再会 よりによってたまたま車で来ていないらしい
当たり前のように大塚に
拉致

最近はまっている鰻屋さんで鰻の串焼きを食しながら日本酒
少し前までは冷やだったのが昨日は熱燗 正統派の菊正宗
串巻に短尺に、肝焼き 肝吸いを頂きながらの日本酒も
なんとも土瓶蒸しのよう

そのあと私の秘密のバー
大塚にこんなところがあるのと思わせる
地下二階に隠れ家バーがある

もちろん携帯はつながらない
チャップリンの映画が大きな壁に映し出される 葉巻タイム
三件目でメキシカンバー 四件目で食事 魚と日本酒
五件目でカラオケでもいこうとした三時すぎに急きょ解散の運びに

大塚はザガットサーベイに何件も店がラインナップされている街
渋い店が多いみんな大塚に引っ越したらいいのに
引っ越しは私の親友の西日暮里駅前の
トーユー不動産が一押しです。


無念…。ヤンキース
2007.10.10
一昨日は結局終電もなくというか、帰る気も無いため
3時まで思いっきり無我の仲間と飲んで、
二子玉川で結局ビジネスホテルというか
ラブホテル(?)というようなところに宿泊。(笑)

熱い風呂にはいって熟睡。
昨日朝起きてあわててテレビをつけても
BSなんて気のきくものは放映されて無い。

仕方が無いから30秒おきに携帯でチェック。
もちろんヤンキースの試合速報。

私はタンパには93年から住んでいるが
ヤンキースが強くなり始めた96年の少し前あたりから
町も同じように発展していった。

オープン戦や春季キャンプで使う
レジェンドフィールドも96年だか97年のころ。

その前はデールメーブリーとコロンバスAVEの
交差点のところがキャンプの練習場。

今でも使ってはいるが、本格的な球場の施設はなかった。

リーグシリーズにも出れないのが決まった。
去年は確か、タンパの車の中で
ニューヨークのJ氏との電話をしながら速報を教えてもらっていた。

いつもヤンキースファンの私にとって、
この瞬間ほど肩を落とす瞬間も無い。

ああ、今年も終わった…。

90年代後半から好きなチームとなったが、
もうそのころにはすでにジョート?レが監督。

前立腺のガンをやったころ。
まだぎりぎりダリルストロベリーがいた。
キャッチャーはジラルディ。
内野はティノ、スコットブローシャス、ジーター、
外野はバーニー、ポールオニール、シェ-ンスペンサー。
松井さんも、A-RODもいない。

要するに98くらいから2002年くらいまでのベストメンバー。
ものすごい強かった。

来期のメンバーはいったいどうなるんだろう〜?

私はヤンキースを注目するもっともっと前には
石毛が西武に入団と共に西武ライオンズの大ファン。

家の近所のホテルに西武の一行が泊まる。
たまにそこでサインをもらった。
いまだにもっている。

東尾、片平、工藤、鈴木晴彦。
サインはファンの心をくすぐる。

今になって船主側の立場にいるが、
ホテルには逃げ道というのが必ずあり、
フロントロビー前にいるファンはそこで待ち構えることになる。

2階から外に出たり地下から外に出たりとさまざま。

札幌のホテルなんかはあまりにもロビーにファンが多いときは、
清掃スタッフが使うエレベーターで下まで下ろしてくれる。

私はしかしながらファンのときの感動を忘れないから、
なるべくサインはするようにしている。

サインをもらいたかったら私からのアドバイスとしては
周りにたくさん他のファンがいなければいないほどいいものだ。

一人して他の人をしないのは失礼に当たる。
一人して他の20人しないのはこちらとしてもいやなもの。

20人する時間があればいいが、
たいていの場合はスポンサー関連の食事会等で
急いでいかねばならない。
その場合は一切できない。

だからといってどこで待てばいいのといわれても難しいところだが。

話は戻るが、いずれにしろジョートーレの去就には心配でならない。
私はジョートーレが日本に来るものいいのではないかと思う。

ヤンキースはどうするか。
ルーピネラ、マッティングレー、ジラルディ。
ティノかポールかバーニーは時期尚早? 

日本人ならば誰か?
広岡達郎、東尾、金田正一、大沢親分、張本。
そうだいいのがいた。ドンジマー!!!!!  
これでいこう!!


これですっきり!!(笑)
今から知人と後楽園にいきます。


あだ名は坊主
2007.10.09
昨日は久々に等々力 新日本時代の思い出がおもいっきり残る
後藤さんのブログじゃジドアールというところにまるで
下宿しているかのようだが私はなんだかんだラーメン屋の紅蘭かな

とくに私が九十三年小原から寮長を馳先生の指名で就任したあと、
餅つき大会を始め、等々力近辺の街の相談と協力は
すべてここの木村さんのおかげ どれだけ世話になったことだろう

近所とのお付き合いも昔はかなりあった あたりまえだ
あれだけ一日中、ドタンバタンと騒音 あいさつまわりは当然

招待券にカレンダー ときにはちゃんこ鍋までふるまう
だからこそ道場主催の最大の年間行事の餅つき大会には
近所総出で協力してくれた 実に気持ち良い

餅も好きなだけ食べて持って帰っていい
みんな笑顔で幸せなら野毛の町が幸せ
金が無くとも不景気だろうと助け合いは人間の基本

雨が降れば干し物を入れてくれたり、
デパートに近所のガキどもをつれていったり

私は入門してすぐに完全な坊主頭
近所のガキども、しかも幼稚園前のガキに私はあだ名が坊主


ガキどもは三歳くらい 私は十八歳
なんで坊主から坊主と言われ、それからずっとあだ名は坊主


そいつらが中学生になってわたしが30になろうかというところに
たまたま道場で顔を会わした
やつが一言 もしかして坊主?
いまだにでした 坊主だろうがなかろうが。

近所づきあいは人間の基本だ


私の史上最低
2007.10.08
昨日の試合は、二時試合開始 弁天町にある小さめのアリーナ
大阪松竹のつかう劇場でもある 試合後帰ろうと思えば帰れるのだが、
この地に来たからこそ会わねばならないかたがたや、
あいさつまわりをすることができる

最近は毎回寄らせていただく大衆酒場 味穂という店。
倖田來未をはじめ多くの芸能人のたまり場
別所哲也さんとあいさつしたことがあった

レスラーは昔でいうジャパンの軍団
服部さんにつれてこられ私も常連
髪の長いのとはまだ一度も出会ったことはない

服部さんやマサさんとはフロリダコネクション 仲のよいはず
しかし私には池尻コネクションだけは微塵もない

昨日もビールを何本開けたことやら
石原裕次郎の口癖のように、ビールは食事と違って
噛む手間が省けるとでもいいたくなる
話はかわるが、試合に出てつくづく思う

私は昔からかなりメジャーの威厳なるものを言ってきた
いまだにインディの選手、ファン、関係者から私は相当な
インディ否定をしているように受けられているようだ

無我も規模としてはすっかりインディ
そして私自身の冒険と発見をしに九月から行動に出始めた
昨日の規模はもしかしたら日本国内では私の歴史上、
最少観客数ではないだろうか


一番多かったのは、猪木さんの引退試合
あの時が六万だか七万人 昨日は百人くらい


私の史上最低は十六人オハイオのアルスノー道場マッチ
しかもその頃売れに売れてブレークしているサブーとのシングルマッチ
ウィーンのインターコンチの裏にある
アムホイマルクでの野外特設リング 雨が降れば中止
小雨がふったりやんだりしながら結局試合開催

みんな傘さしながらだから拍手ができない
ビール飲んでいたら両手がない
このような大人数のところで客との駆け引きが
できるようにならなければプロとして成長しない

大人数の会場ならば名前も知れる。金も入る。
有名になるから外を歩いていても意識が働く。

服装、マナー、歩き方、食べ方、飲み方、話し方。
いい車に乗り、いい家に暮らし。優雅にゴルフを楽しみ、
年に数回は家族で海外。

これがもしも逆ならば、人数が入らないから金もはいらない。
有名になれないから、街を歩いていても決して振り向かれることはない
振り向かれることはないなら服装もどうでもよい

いつもいかに安い庶民的5格好
海外なんかとんでもありません
飛行機すら修学旅行のとき以来乗っていない

あとは深夜バスか新幹線の指定の五列シート
車も動けばよい へたすりゃいらない 自転車か歩き
シャンパンなんかしらない 子供の時のシヤンメリーと間違えるくらい

腕時計も靴もスーツも最低限でかまわない
歯の治療も体の治療もすべて保険適用内

私はべつにこれを行っている方がインディとは
いってませんよ逆を説いてみた


もしものコーナーだね、いわゆる
さぁ君はどちらにする?
特に女性にきいてみたい どちらについていくか?


バンザイ!!!
2007.10.07
ディファの試合後、竹村と菊太郎氏と会食
有明からお台場に移動 物凄い観光客のかず

私もいまではホテル日航のお気に入りの一つだが、
私が高校生のころのお台場はペンペン草もはえないような
ひどい空き地だらけの埋め立て地

毎晩のように船の科学館近辺は走り屋だらけ
とくにバイク 改造車ではない
免許取り立ての時ほどこのような遊びに走る

私も今ではリンカーンタウンカーに落ち着いたが
高校生の取り立ての頃は首都高をスカイラインで飛ばしたものだ

ときには国道二十号の大垂水峠にもいった
伊豆までの日帰りドライブはしょっちゅう
事故を起こさなくてよかった

昨日の東海道五十三次じゃないが、女を車に乗せドライブは、
男の腕の見せ所 ドライブは三度の飯よりすきだった
いまはアメリカでこそ長距離をのるが、
バーでたたずむのが時には飯よりも好きな行為


今日も試合 運転手つきの私のマイカー
JR東海で大阪に 松茸弁当と麦茶二本が朝飯
カーブ沿いの熱海のホームを車両がヤヤ右斜めに通過
すぐに函南のトンネルを越えるときには
カツサンドでもいただくことにしよう

大阪では行きつけの宇和島の店にいって、じゃこ天と焼酎
今日は昼間の試合だから夜が長い バンザイ!!!


俺の東海道五十三次!
2007.10.06
昨日は六本木の焼き肉屋さんにて
テレビ関係の方々と打ち合わせ。
人生の岐路規模の話し合い。

私の人生で今まで思い出しても一番はやはり九十八年の闘病となる。
その前はもしかしたらプロレスに入るか否かの決断の時 。

入っていなかったら学校の先生もしくはスノーボードのインストラクター
旅行会社 新幹線の運転手か車掌パイロット 消防士 秘密情報部員
レーサー 政治家 料理人 ホテルマン刑事 どれも興味津々。

まぁ今はレスラーだからこそ世界を巡り歩けた。
世界の酒も車も女もレスラーでなくとも
私はたぶん世界を巡り歩いていたであろうと思える。

昼は新幹線の運転手、夜は女を口説き
スーパーカーに乗るもちろんスピード狂 !


職業病ですぐに二百七十・・・
加速と減速はかなりゆったりめ
車の色は、いくら何でも白と青はやめる

口説き文句は、俺の東海道五十三次に付き合わないかい?

私の親友A氏 彼は酒と女の席では
さまざまな職業を自由自在に変える。


お気に入りの女性がいると郵便屋になる
住所を聞き出すのによい NTT勤務でもよい もちろん番号。


女があまりにも塩っぱいときは、職業を車掌に変身
しかも始発  それで早く帰らせてもらう


今日はディファで試合 控え室から外の扉を開けたら素晴らしい夕日
ノアはうらやましい環境だ !



ドンペリのピンク
2007.10.05
昨日は日中はソヤと練習  天気が久々に快晴
四日前辺りから寒くなった 天気も昨日は夏みたい

海パン一枚で二人とも道場の外で日差しを浴びながらのスクワット、
ダンベルスクワット、腕立て伏せ いい汗をかける

練習のあとのビールと行こうとしたら、
よった店でこれまたうまい白身の魚と肝。
一気に日本酒モード 八海山がすすむこと
別に学生の乗りで一気のみなんぞ下品なことはしない
大人の飲み方 ちびりちびりとやる

魚を相手にまるで詩人のように様々なことを想いながら
サーファーのように風のこと、波のこと、天気のこと、
気圧のこと、台風のこと、浜のこと、海流のこと。


海と天気のことなら石原よしずみ並みにみんな語れるのもかっこいいし
素晴らしい特技だとおもう 近所の大川氏もいつも天気予報をしている
魚に関して詳しいものもかっこいいものだ

酒に関して、食に関しても知識は持たないより持ったほうがよい

スティーブマックイーンの華麗なる掛けは
三十八歳だが映画の設定は三十六
西部警察の大門刑事、渡哲也さんは実際三十七。
みんないい年のとり方をしている

テレビなんか見ていてもわかけりゃよい的なところや
若いのが人生の華みたいなところがあるが、
深みを帯びれば帯びるほど味わいが出る大人になるゲーム
なんてレベルが高いのだろう

そんな話をしながら夕方はついに
ドンペ リのピンクが登場してしまった!
わけーガキには到底ついてこれない
はやくかっこいい大人になるべし!


皆さんは何党??
2007.10.04
昨日は練習してから太東の中心地であるアーゴプロジェクト。
そしてその隣のボンドサーフショップ内にある4人しか座れないバーに
征矢と私とゲストの3人で生ビールを永遠に。
30杯近く飲んだところで二次会に。

ゴッチさんは生前完全までのワイン党。

しかしオールドファッションのレスラーといえばビール。
マツダさんはまあ、とにかく飲んだし、
今だにたまにお会いするマサ斉藤さんもものすごい飲む。
飲めません、食べれませんじゃレスラーは失格。

何がプロテインだ!プロテインを飲んでいるものに限って
怪我をするし、風邪も引きやすいし、文句ばっかり言っている。
男は黙って黙々と飲むに限る


私の身の回りでは今上げたマツダさんとマサさんが
ビールの大酒のみ一位と二位といったところ。
焼酎にすると坂口さんと、長州リキ。二人とも芋焼酎のロック。

赤ワインをかっこつけて飲み干すのが猪木さん、
藤波さん、武藤さんに服部さん。
蝶野さんはビールのコーラ割り。
細川たかしはビールのロック。
山本小鉄さんもおなじ。海野レフリーも。


三沢さんは昔はロングアイランドアイスティ、
子供が生まれてからがラム。なぜなら子供の名前がラム。
私は思うがラムが好きすぎて酒の名前から
子供の名前を盗ったのだとおもう。

ラブホテルの名前をつける親もいた。
なぜならそこで誕生する行為をしたから。

しかしながらココ最近飲酒運転厳しすぎないか?? 
私が公安委員会の委員長ならせめて
最低基準地をもうすこしあげるなり考えるが。
缶ビール一本くらいで殺人を冒したかのような厳しさ。

都内にしてもタクシーの料金をもっと安くするか、
公共交通をニューヨークのように24時間走らせるとか。
3分に一本はいらないが30分に一本でも走らせたらどうだろう。

慎太郎さん、何とかなりませんかね。


九時ラストオーダー・・・って?
2007.10.03
昨日は千葉入り.

夕方から太東出現!!

サーフィンやろうとしたが波がなかなか高く断念。

息のあがるゴッチ流トレーニングをして、さあいざ出陣
夕方着なもんで九時から出陣。

ところが田舎は違う
九時ラストオーダー。

都会は何から何まで違うとは思ってはいたが、 さすが田舎
東京ではまずやっていけないだろう。

田舎の良さはわかるが九時ラストオーダーはやばいでしょ。

しかたがなく私の家でパーティー
餃子パーティー、パスタパーティー、ラーメンパーティー

欽ちゃんのどこまでやるの状態 。

いつでも外敵の参加をお待ち申し上げます。


”プロ”という事
2007.10.02
久々に池袋のジムに行ってみた。
夜はものすごい人の数だからあえて昼会員。

おばちゃん連中はたくさんいるが基本的にすいてていい。
メジャーの教育を受けるとプロ意識を持ての教育から始まる。

言葉使いや態度、服の着こなしにいたるまで。
テレビのブラウン管に出ている人間が、
あまりファンの方々のレベルにまで降りてくることは
夢をなくすとの教育がある。

常に別世界での自分の位置を持っていなくてはならない。
ゲームセンターに行くのもパチンコ屋さんにいくのも基本的には禁止。

若手以外ほとんどの選手は地下鉄や公共の鉄道にものらない。
すべてタクシー。

レストランに入れば大見得を切ってたくさん食べねばならない。
みんなが回りで見ているから。
常に周りの目を気にするようになる。

ファンは常にどこかで見ているという意識をもつ。
最近の若手にいたるまではこの教育はないのではなかろうか。

先輩方や伝統と歴史から何を感じ後世に伝えるかだが、
夢を売る商売の人間としてはあまり下界に降りてきてはならない。
夢を壊すことになりかねない。

さまざまなことでも言える。
練習場所を一般の人々がいるジムに通うというのもこの理論に通じる。

他にはどんなことがあるだろう〜?

新幹線はいいが山手線はだめ。
新幹線でもグリーン利用。
飛行機でもエコノミーはだめ。
ホテルの食事やバーの利用はいいが繁華街の大衆居酒屋はだめ。
ジムもプールもよけいに目立つからだめ。

車も夢を売る小道具。

ヒロさんは都内の移動は基本は軽。
しかし会場入りはジャガー。

体育館の照明も大事。
リングは別世界でなければならない。

すべて明るいのは経費をケチっているから。

私のプロモートする場所はいくら赤字が出ようとも
照明は一番いいものをいれる。

有名な芸能人が舞台で歌を歌ったとする。

都はるみさんでも北島三郎さんでもよい。

明かりが体育館全体を照らしたまんまの間の抜けた緊張感ほど
夢と思い入れをいれなれないものはない。

そのような教育環境だからこそ、
自然とプロ意識がよくも悪くも
体の奥底にしみついてしまう。

プライドが許せなくなる。
長くいれば長くいる分だけ…。

私は地下鉄に乗るときには感覚を変えるようにしている。

プロ意識としては地下鉄になんか乗ってはいけないのだが、
これほどまでに早く渋滞もなく目的地まで運んでくれる
便利で安い公共機関は無い。

私は地下鉄に乗るときはココはニューヨークと決め込んで乗っている。

そう思えば気分もラク。

この感覚はプロになったものしか
なかなか理解はできないのではなかろうか。

居酒屋に行けば若い者がまわりでこそこそこっちの噂話。

飲みっぷりから食べっぷりまで、下手すれば話の内容まで
耳をダンボにして聞いている。

むかしの話で聞いたことがあるが、
ラーメン屋さんで馬場さんが鼻をかんでテーブルに置きっぱなしで店を後にしたら、
店員が丁寧にポケットにしまいこんでお土産として保管したらしい。
みんなに自慢するのだろう。

大事な仲間、とくに余りひとに見られたくないような状況ならば、
確実に人がいないところに行くようになる。

その点、海外は素でいられる。

間違っても豊島園のプールにはいけないが、
ディズニーのタイフーンラグーンは大好き!

誰にも気づかれない。
女性がいようとハグしようが人目はまったく関係ない。

ずっとテレビ中継も無い無我ならば
ココまでの感覚は無かったのかもしれないが。

これを維持していくには労力とお金がかかるものだ。

しかも日本人は有名人が大好き。
サインや写真をもらいにひとだかり。

マンハッタンのトライベッカのNOBU。

ロバートデニーロがパート・オブ・オーナーの店で、
まるでアラレちゃんのような大きな伊達めがねをかけ
奥の一番端っこで枡酒をのみながら枝前を食べてようが、
周りの人はいたって冷静。

いるのはわかっていてもみんなミーハーな声はかけない。
2年前ヤンキースのスーパースター、
デレク・ジーターとタンパのモールですれ違った。

みんな一瞬だけ振り返る程度。
もちろんみんな気づいてはいるが…。

今日は武藤さんと会談。サムライテレビの撮影。
それが終わって千葉に向かいます。

ゆっくりのんびりコンディションを作ってまいります。


愛が無ければ・・・
2007.10.01
私は2ヶ月まえからあるIT企業の会社の
アドバイザー的役割をするようにもなった。

大阪での飲み仲間の方々からはじまって
ココまでたどり着いたのも摩訶不思議なご縁だ。
この会社は文京区にある会社。

私も文京に生まれ、今も住み、この町の活性化に動いているところ。
わたしはJCには入っていないが、さまざまな教育者とは話合いをもつ。

先日おあいした早稲田の教授の話だと、7・5・3という言葉がある。
大学で3割、高校で5割、中学で7割もの若者がフリーター願望という
定職を持ちたがらない数値である。

私はもうかなり前から、がん患者に対してだけでなく
小児ガンの体験者、親、本人をプロレスに招待して
元気を勇気を持ってもらうような活動をしている。

無我がはじまり自分の足で本当に多くの企業や会社を
回りめぐったときに青少年育成の活動に、
しかも地元の小中学校からスタートしてみてはどうだろうという、
素晴らしい考えを持つ社長に出会った。

この社長の結婚式に参加したのであった。
会社名はYou & Me 私とあなた。
一対一の付き合いを大切にを意味する。

プロレスというものは愛がなければできないスポーツ。
相手の技を受けるのも、大いに大人の行動。
第三者であるお客を喜ばせようとする行動も愛。
愛を持ちなおかつ大人でしかできない。


自分勝手に自分の好きなように自分さえ満足するような
感性のものでチャンピオンは今まで見たことが無い。

プロスポーツはお客を満足させ、なおかつ技を磨き、
コンディションを整え、かっこよさを表現し、
時には悲しませることもあるかもしれないが、
猛烈に表現力が問われる。

だからといってショーなわけではなく
あらゆることが要求される非常に難しいスポーツ。
試合をするものもちろんだが、

私はこれからも学校では決して勉強できない、
今の日本の青年が必要としているところに目をつけ
これからも訴えていきます。


いつでも学校や企業や個人レベルでも
我々無我と西村修は日本中、
世界中に飛んでいき、教育いたします。


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