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名前:西村 修( ニシムラ オサム )
生年月日:1971年9月23日
出身地:東京都文京区
身長:186cm
体重:105kg
所属:07年10月19日付で、全日本プロレスに正式入団。
■デビュー
1991年4月21日、新日本プロレス・沖縄県糸満市西崎総合体育館での飯塚孝之戦でデビュー。
■得意技
コブラツイスト、エルボースマッシュ、倒立など
■闘 病
98年にはガン(後腹膜腫瘍)による長期欠場を強いられる。
■復 帰
00年6月・日本武道館での藤波辰爾戦で復帰。
■映画出演
04年には、奇才・河崎実監督による映画『いかレスラー』で初主演
全日本プロレスリング所属の正統派プロレスラー。
彼の名言には3ゴング!!
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一昨日はジョーマレンコとテリー氏と食事。
空港近くのインターナショナルプラザという派手なモールがある。
そこの中にはいっているなかなか美味しい日本食の店。
遺品の中から数点、形見としていただきました。
愛用のベルト、ジャージ上下。
私が生きている間には間違いなく他人にわたることは無い。
まかり間違ってとんでもない値段がかけられたとしてもこれだけはない。
考えてみたらあまり私の周りに
これだけは譲れないという品物は無いような気がする。
病気の前に私は知人からいただいた台湾のお寺で購入したという
金剛菩提樹の木の実でできた数珠をしていた時期があった。
どんなにしてもこれだけは肌身離さずしていた。
どこにいっても忘れることもなく。
病気をして入院中も一緒、ガンジスに沐浴をしたときも一緒。
コルティナにスキーをしたときも、
ブレーメンのオクトーバーフェストで大酔っ払いしたときも、
ヤンキースタジアムも、ピラミッドの中にはいったときも、いつも一緒。
ところが2005年の11月、
新日本を辞める数ヶ月前に足立区で野球大会があった。
ピッチャー棚橋、キャッチャー裕次郎、私がサード。
監督が海野さん。
宇都宮のイベントが朝まで。
その足で向かったハードなスケジュール。
ユニフォームは持ってきたのにシューズを忘れ、
なんと革靴のブーツで野球をした。
このときにこの98年から愛用の数珠がなんと
切れてなくなってしまった。
気づいた時にはもうない。
98年にいただいたときは薄い茶色。
2005年にはもうなんともいえぬあめ色のような
うんと濃いこげ茶色をしていた。
こげ茶色だからグランドの土の色と一緒。
探しても出てこない。
試合が終りさがしていたらコントのようにものすごい勢いの大雨。
さすがに諦めがつきました。
なくしてショックなのは携帯と財布くらいであろうか。
しかし私にとって一番大事なものがある。
もちろん家族や仲間も大事。
何が一番になるかはすぐには答えるのは難しい。
しかし、この優先順位を決める作業が
行動の基準になる最も大切な作業となる。
2番目以降はどうでもよい。
すべてを行おうとするから決断が遅くなる。
考えているうちにタイミングを逃すことになる。
人生の中のチャンスとは待っていてくるものと来ないものがある。
私にとっては、限られている時間というのが一番の優先順位。
だれも責任は取ってくれないし、だれも後戻りもできない。
いつか来るだろうなんて考えは私には無い。
すべてこれらは26にして癌を患ったから。
”人間にはいつか終りが来ます”ということを猛烈に実感してしまった。
のんべんだらりと時間を過ごすのはもうこりごり。
時間がある限り私は突っ走ります。
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